内容説明
アメリカ施政権下から本土に復帰して2年足らずの沖縄をゆく旅。那覇では島尾敏雄氏と語らい、薩摩藩の侵略や明治国家の琉球処分を振り返って「日本における近代国家とは何か」を考える。まぼろしの「南波照間島」を思いつつ石垣・竹富・与那国の離島に足を伸ばすみちでは、「司馬民俗学」とも呼びうる、言語・宗教・建築・製鉄・造船などにかんする幅広い知見がつづられる。
目次
那覇・糸満(那覇へ;沖縄について;那覇で ほか)
石垣・竹富島(石垣島;宮良殿内;竹富島へ ほか)
与那国島(与那国島へ;南国食堂;小さな魚市 ほか)
著者等紹介
司馬遼太郎[シバリョウタロウ]
1923年、大阪府生まれ。大阪外事専門学校(現・大阪外国語大学)蒙古科卒業。60年、『梟の城』で直木賞受賞。75年、芸術院恩賜賞受賞。93年、文化勲章受章。96年、死去。主な作品に『国盗り物語』(菊池寛賞)、『世に棲む日日』(吉川英治文学賞)、『ひとびとの跫音』(読売文学賞)、『韃靼疾風録』(大佛次郎賞)などがある(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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Kawai Hideki
80
今週、沖縄に行って来た。旅行中、沖縄の何を見るか、見えているモノの背景に何があるか、を考える拠り所として読んだ。本書は、沖縄本島、石垣島、竹富島、与那国島などの離島をめぐる旅と並行し、昭和の沖縄戦、明治の琉球処分、江戸時代の薩摩藩による侵攻、15世紀の琉球王国による三山統一、琉球王国以前の楽園的な石器時代と、歴史を溯っていく。沖縄戦の犠牲者は二十余万。対して関東での本土決戦を覚悟した司馬遼太郎の所属部隊の上官の言葉がずしりと響く。逃げる市民は「轢っ殺して行け」。軍隊が守るのは市民ではなく軍隊自身なのだ。2015/03/07
molysk
65
本土への返還から2年足らずの沖縄をゆく。那覇では、島津家の支配から明治政府による琉球処分、そして沖縄戦の惨禍と、沖縄と本土の間の歴史をなぞる。空港でふと耳にした地元の人の言葉から、本土の人への複雑な感情がにじみ出る。竹富島へ。当時は観光化されておらず、島の景色は伝統を色濃く残す。旅の終点は、西の果ての与那国島。台湾は手の届く距離にある。日本と大陸の間を結ぶ沖縄と先島の島々は、両側からの影響を受けることになった。言葉や祭祀といった文化や、鍛冶や建築といった技術など、多様な視点からの読み解きが鮮やかである。2023/11/26
kawa
49
沖縄・先島編。作家・島尾敏雄氏との会話、沖縄との関係を「自分を日本人と規定するより倭人と規定する」が印象的。解説氏も「本州弧と琉球弧の共通の先住民として原倭人の概念を設定した」と。この辺が沖縄史を論ずる肝かも。沖縄本島と先島別物。同列で議論できないという点も改めての再確認。執筆当時にも様々な「沖縄問題」が横たわっていたようで流石の司馬先生も、紀行記ではそこへまで突っ込み出来なかった印象。(今年300冊目)2019/12/23
優希
45
沖縄は一度那覇に行ったことがあります。次に行く機会があれば那覇以外の場所も行ってみたいと思いました。先島諸島の歴史の深さが興味深いです。2024/03/28
James Hayashi
40
沖縄を始め、石垣島、竹富島、与那国島へも足を伸ばしている。琉球処分や歴史的意義にも触れているが、散策的な旅と感じ、用いられている文献や遺跡など限られている。沖縄に行く機会があるなら、是非先島も訪問して見たいと思わせられた。2019/07/04