津田梅子

津田梅子

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  • サイズ B6判/ページ数 269p/高さ 20X14cm
  • 商品コード 9784022561534
  • NDC分類 913.6
  • Cコード C0023

内容説明

幼い魂に刻みつけられ、培われ、熟成し、ついに発酵し始めた想念。新発見書簡資料をもとに鹿鳴館前夜の日本へ帰って来た女性梅子の100年の夢をたどる。

目次

第1章 帰る
第2章 夢
第3章 苛立ち
第4章 悩み
第5章 怒り
第6章 招かれて
第7章 待つ
第8章 連なるもの
第9章 創る
第10章 芽生え

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

ヴェネツィア

378
津田塾出身の大庭みな子が書いた、校母ともいうべき津田梅子の評伝。ただ、そのスタイルは独特のスタンスをとっており、梅子の日記を拠り所に彼女の人生を描いてゆく。冒頭は、明日は日本に帰り着くという前日に始まる。梅子は18歳である。彼女が渡米したのは、なんと8歳の時。それから11年後の帰国であった。そして日記の最後は64歳の8月16日。"Storm last night"だった。読んでいて感無量といった気分になる。帰国してからは結婚も断念し(文化が違い過ぎたのだ)、数々の試練の末に私塾を創設するのである。2019/04/26

James Hayashi

33
読売文学賞受賞作。津田梅子のアメリカからの帰国から大学設立まで半生記。梅子がアメリカでお世話になったアデリン・ランマンに出した手紙から構成した作品。梅子と共に留学した5人全員が旧幕臣や賊軍の娘であり年間千ドル余り給付金が付いた国費留学生。最年少の梅子はわずか6歳。10年を外国で暮らす覚悟とはいか程のものであったろう。生涯未婚を通した梅子は、愛情も尊敬もない妻という立場にはなりたくないとまで述べている。崇高なる結婚観、教育への情熱。100歳になる教え子の岡村さんが梅子の様子を語られるが、感動せずには 続く→2017/10/23

Kiyoshi Utsugi

8
1864年に生まれて、1929年に64歳という若さで亡くなっています。 1871年(明治4年)に7歳の若さで、山川捨松(後の大山巌の後妻となる人)等と共に米国に留学し、11年間を米国で暮らした後、1882年(明治15年)18歳で帰国します。 米国に留学していた時にお世話になったチャールズ・ランマン夫人アデリンに宛てに津田梅子が送った手紙を時々交えながら津田梅子を描いています。 後半は駆け足の部分もありますが、明治の時代に女性のための教育機関を何としても立ち上げようという熱意がよく伝わってきました。2019/10/31

ZEPPELIN

6
津田梅子の私信と、著者による考察。当時の日本の男尊女卑の空気が濃厚に伝わってくる。男性優位社会に文句をつけるだけではなく、女性にも自立を促す姿勢は、さすが二ヶ国をその目で見た人物である。ただ、男女間の格差だけではなく、日本独自の風習にまで批判を加えるのは頂けない。何でも開拓しなければ気が済まないアメリカ精神の悪い面であるし、現在にも繋がる欧米コンプレックスを見せられるようで気分も良くない。何より、著者の津田梅子の神格化が酷すぎる。これでは公平性も客観性もあったものではない2014/06/27

isao_key

6
1984年に津田塾大学本館の物置の中から偶然見つかった百数十通にもなる津田梅子からアデリン・ランマン宛の手紙を元に、その手紙からみえる津田梅子を書き表した評伝。7歳でアメリカに渡り、18歳になる直前に帰国した。この本では帰国途中の1882年11月19日に船中で書いた手紙から1887年3月までの手紙が紹介されている。帰国して間もない梅子は「ものごとを引きのばしてばかりいるのは、この国の欠点です」と手紙に書いている。先日読み終わったハリスの日記にも同じことが書かれてあったので、興味深かった。 2012/05/25

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