出版社内容情報
2005年2月、大阪の小学校で起きた教師殺傷事件。犯人は対人関係に「障害」があるとされる17歳の少年だった。犯行動機や責任能力をめぐって少年司法や精神医学が直面した未知の難問を描き、真の贖罪と更生のあり方を示す。
内容説明
二〇〇五年二月、大阪の小学校で教師殺傷事件が起きた。犯人は対人関係にハンディキャップのある十七歳の少年。「凶悪不可解な少年事件」に少年審判や刑事司法はいかに向き合ったか。動機や責任能力をめぐり精神医学が直面した難問とは何か。真の贖罪・更生には何が必要か。綿密な取材から描く迫真のノンフィクション。
目次
はじめに 診断名をつけて一件落着、ではない
第1章 その日、小学校で起こったこと―事件
第2章 「ずっと辛かった、不安がぬぐいきれなかった」―加害少年の一七年
第3章 家裁はなぜ検察に送致したのか―審判から刑事法廷へ
第4章 心からの謝罪とは―供述
第5章 司法と精神医学が抱えた難問―責任能力と処遇
第6章 刑罰も治療も―判決
おわりに まずは社会的な受け皿の整備こそ―「刑罰か保護処分か」という問いを超えて
著者等紹介
佐藤幹夫[サトウミキオ]
1953年秋田県生まれ。21年間養護学校教員を務めたあと、2001年からフリージャーナリスト。更生保護法人同歩会評議員(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
やっち@カープ女子
40
大阪府寝屋川の小学校で起きた教師殺傷事件をまとめたルポ。加害者の少年は知的な遅れを伴わない自閉症圏の障害者。普通の家庭。少年の17年、いじめ、不登校、通院・・・やはり孤立していた。どうしたら防ぐことができるか、一筋縄ではいかない難題だ。考えさせられた。2016/07/18
hatayan
33
2010年刊。広汎性発達障害を持つ少年が小学校の教師を刺殺した事案の発生から一審判決まで追ったもの。 彼らは「分かること」はできても「感じ取ること」が困難。犯罪の起きた背景は、青年が反社会的というよりも非社会的だったから。だから、罪を重さを受け止め償わせるには単に懲役を科すのではなく、療育のような支援が必要。 著者は、少年審判の厳罰化を急ぐと、まだ新たな概念である発達障害への対応が疎かになり、将来の不安要因を増やしかねないと危惧。コストを割いても加害者を適切に処遇できるよう向き合うべきと提案しています。2019/05/12
Satoshi
11
大阪の小学校で発生した教師殺害事件の裁判記録。現在の様に支援学級がなく、発達障がいの理解が無いまま社会から断絶され、妄想の中で凄惨な殺人を犯す。彼は発達障がいというハンディキャップを持っている、彼の障がいは他者へシンパシーを持つことができない特性があり、単純に解釈すれば加害者は反省も謝罪も無いととらえられる。一方、被害者と遺族の証言には胸をつまされるものがある。本書をどう咀嚼すればいいのか、悩んでしまう。2023/03/19
第9846号
6
仕事絡みで読んだ本。少年が起した殺人事件の裁判を通し広汎性発達障害という概念について、司法、精神医学、被害者と加害者の家族の視点から丹念に浮き彫りにしようとしている。主治医や鑑定医は裁判の場で加害者について述べるとき、ぎりぎりの表現を迫られていた。近代法は人が対人相互性を生得的に持つ主体(近代自我)であるという前提を元に作られてきた。そこから罪を犯した人の行動動機、責任能力を評価し判決を下している。もし動機や責任能力が何らかの精神障害により阻害されたと見做された場合、心神喪失となる。続く2010/12/30
Ikuto Nagura
5
広汎性発達障害の犯罪と裁きを社会に問う、元養護教諭によるノンフィクション。同じ著者の『レッサーパンダ帽男の罪と罰』にある01年浅草事件の裁判経過と比べると、この事件での大阪地裁は、自閉症に対し進んだ判断をしたように見える。とはいえ、自分も含め社会は自閉症に対し正しい知見を持っていないし、法体系も「従来の精神医学、特に司法精神医学は、広汎性発達障害という新しい疾患が同定される以前の思考法で形成されて」いるのが現実だ。そんな中で、厳罰か保護かの二極論に終始していては、新たな加害と被害を生み続けるだけだと同感。2015/09/03