内容説明
大本教の開祖、出口なお(一八三七‐一九一八)は生活苦と家族の不幸が重なるなか、五十代にして初めて神がかり状態になり、自動書記による「お筆先」という文章を大量に残した。すべての人に改心をもとめる、そのラディカルな千年王国的終末思想はどこから生まれたのか。民衆思想史家が宗教者の内面に迫る評伝の傑作。
目次
1 生いたち
2 苦難の生活者として
3 内なる声
4 告知者として
5 零落れた神たち
6 出会いと自認
7 近代化日本への憤激
8 天下の秋
著者等紹介
安丸良夫[ヤスマルヨシオ]
1934年富山県生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程修了。一橋大学名誉教授。日本思想史専攻(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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てつ
30
単なる評伝かと思いきや、かなりハードな民衆思想史。分かりやすいが理解はできず。2021/08/15
かんやん
28
大本の教組の伝記。貧困に喘ぎながらもひたむきに生きてきた無学な女性に、不幸の最果てで神が降りてくる。忘れられ、追いやられた神がのりうつって、世直しを宣言する。土俗的なシャーマンの世界観はあまりにもローカルでつじつまがあっていないけれど、そこに浮かび上がるのは虐げられた彼女の生涯と怒りだ。現世を一挙に否定し、自分自身を肯定するには、神憑りしか残されていなかったのではないか。予言、アポカリプス、千年王国。民衆のルサンチマンが生み出す集団幻想。それは歴史を通じて世界に共通して見られる現象ではないか。2019/08/18
松本直哉
22
教祖の教えは後継者によって歪曲されるものだが、出口なおと王仁三郎の場合もそうだ。本書は「筆先」と呼ばれるなおのテクストの読解を通じて両者を丁寧に腑分けする。聖書風にいえばなおの言葉は「異言」で、無学文盲の彼女の話し言葉をそのまま移したような文法的破格の文章における激越な文明批判と天皇制批判が、王仁三郎の、わかりやすく言い換えられた「預言」で時代に妥協したものに変貌してしまう。社会の最底辺で呻吟した者だけに見える終末論をルサンチマンと切り捨てるならば、そこにこめられた根源的なメッセージを見落とすことになろう2022/04/17
かりあ
16
圧倒的評伝…。私は大本教の信者ではないけど安丸良夫の初めての本で何読もうと思ってたところ本書に出会い迷わずこれを読み始めた。かなり面白い。ただどうしても気になるのは、この出口なおの身の上に起きた数々の出来事に対して、明らかな神事として受け取っているところがあるかと思えば、「お筆先」を出口の思想の集大成と捉えているところがありいささかもやもやした。学もなく字も書けなかった一人の女性にここまで何十年にも渡り書き続けられるような神学が、その生活の中から勝手に生まれてくるのかはちょっと悩ましいところだと思った。2016/09/12
Toska
9
なおの強烈な主張に流されず、常に距離を保ち、一方で荒唐無稽と感じられる部分も切り捨てることはない。時代と社会の影響を決定的に重視しながら、その「犠牲者」という決めつけを避け、当人が持つ唯一無二の個性を尊重し続ける。お手本のように素晴らしい評伝。信仰は受け入れずとも、これだけの敬意と愛情をもって研究ができるのだな、と。幕末から大正に至る激動の時代に生きた民衆の声を代弁する存在として、なおという非凡な人物に着目した著者は確かに慧眼であると思う。2021/07/24