出版社内容情報
葉山嘉樹(1894-1945)は
内容説明
長篇『海に生くる人々』で異色のプロレタリア作家として知られる葉山嘉樹(1894‐1945)。下級船員、流離の土木作業員、工場底辺労働者、貧農、職なし、困窮の主義者など、最下層の人たちに共感の眼を向けたすぐれた短篇も数多い。自らも一介の貧しい農夫として戦争の混乱のなかに倒れた特異なプロレタリア文学者の作品を新たに精選する。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
藤月はな(灯れ松明の火)
82
中学生の教科書に「セメント樽の中の手紙」を読んでその不気味さや遣る瀬無さが跡を引き、再読してから「これ、働く大人になってから読んだ方がええ物語やん!」と思わずにいられなかった。そして国語便覧では「嘉葉山嘉樹=プロレタリア作家」という紹介だったが、短編を読むと強烈な現実に生きる人に寄り添う小説を描いた人ではないだろうかと思わずにいられない。「淫売婦」は題名もさることながら、汚物に塗れて客を取る女性の描写にギョッとする。しかし、語り手の一時の激情的な義憤(しかもそんな彼女の姿に欲情を催したことの罪悪感もある)2021/07/04
めんま
20
「淫売婦」や「労働者のいない船」などを面白く読むが、断トツに面白いのは「セメント樽の中の手紙」。恋人が砕石機に巻き込まれ、砕かれた女性の手紙とそれを読む松戸与三から構成される。恋人が砕かれるという衝撃的な場面に目が行きがちだが、末尾の与三の「へべれけに酔っぱらいてぇなぁ」の呟きも、凄惨な現実を忘れたいがそれすらもできない労働者の境遇を描出しており、極めて効果的に機能している。2021/06/19
安土留之
3
編者によれば、葉山はプロレタリア文学から逸脱しているという。確かに、初期の作品はプロレタリア文学というより、エロ・グロ・アナーキーという作風。 12編の短篇が執筆年代順に収録されており、作風の変化がよくわかる。初期のエロ・グロ・アナーキーから、後期は理屈っぽい私小説という感じ。私にとっては、初期の3作が圧倒的に面白かった。また、「セメント樽の中の手紙」、6ページの掌編なので、立ち読みでもいいから読んで欲しい、と思う。エロ・グロ・アナーキーという点では、この作品と江戸川乱歩の「芋虫」が双璧、と思う。 2021/06/27
エリンギ
2
初・葉山嘉樹。正直めちゃめちゃ好きだなと思った。プロレタリア文学というジャンルはさておき、小説としてどの作品も本当におもしろい。労働者のリアルを抉り出しながらもレポート感というか、説明的なところがまったく見当たらない。2022/02/12
BATTARIA
2
プロレタリア文学なんか守備範囲外だけど、「セメント樽の中の手紙」が朗読にちょうどいい文量なので手にしてみた。プロレタリア文学といっても、共産党員だった宮本百合子や小林多喜二あたりとは路線が違ったそうだが、人間の醜さ・愚かさをグロテスクに描写するという意味で、確かに闘争そのものを描いた小林の「蟹工船」「一九二八年三月十五日」等とは一線を画していた。特高警察に嬲り殺された小林と違い、この人は国家権力に屈服し、開拓団長として満州に渡り、生きて日本に帰れなかったが、日本にこの人が生きる場所はなかったのだろうか?2022/01/30