著者マーガレット・アトウッドはカナダの作家。2012年の10月に、SFと人間の想像力を解説したIn other worlds: sf and the human imagination(本邦未訳)を読んだ際に、数多くの小説も書いていることを知った。 その時に、目に留まったのが本書。翻訳では『侍女の物語』。原著のhandmaidは古風な単語で、中世を舞台にしたロマンスだろうと勝手に想像していた。 ところが、調べると、暗い近未来を描いた反ユートピア(英語ではdystopia)小説だということが分かった。主人公は、一人の女性。環境破壊で健康な出産の確率が1/4にまで低下した社会で、こどもを生むため任務を課せられ、監視下での無機質な生活を送っている。 「理想郷」と訳されるutopiaは、英国の思想家トマス・モアが1516年に著した社会批判の物語で表題として以来、英語の単語になったが、もともとのラテン語では「どこにもない」という意味である。 モアが残したこの風刺的な逆説を考えると、dystopiaは、「あり得る社会」と理解できなくもない。『侍女の物語』は、まさに、21世紀中に、我々の子供たちが目の当たりにするかもしれない、喜びが期待できない日常を映しだしている。 本書の裏表紙に記載されたニューヨーク・タイムズの賛辞は「ことば遊び」に言及している。その典型的な例がunbabyというおぞましい単語である。英語の辞書にはない。著者の造語である。unという「否定」を付加する常用の接頭語が、人類の悲惨な将来を暗示している。 もう一つの印象的な記号は、表紙からも分かる。侍女がまとう服は「赤」なのだ。赤信号を引き合いに出すまでなく、「目立ちすぎる赤」(p300)は、警告であり、流血のイメージでもある。さらに「錆」も連想できる。ぎくしゃくした人間関係が語られる。 結末では、読者は、唐突に22世紀末の学術的な講演を聴くことになる。本編の内容も衝撃的だが、この構成にも驚愕を覚える。二つの未来が交錯する展開に、視点が揺らいでいく。大江健三郎が強調した「文学の役割は世界モデルを作ることである」(『新しい文学のために』岩波新書)の成功例のように思えた。アーサー・C・クラーク賞等の文学書を受賞したのもうなずける。 続編であるThe Testamentsをなるべく早く読みたい