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内容説明
潜伏キリシタンは、250年の禁教を耐え抜き、信仰を守り抜いたと考えられている。
2018年には関連遺跡が世界文化遺産にも登録された。
しかし、キリスト教の受容を研究し、長くフィールドワークを行う著者はこうしたステレオタイプな見方に疑問を投げかける。
彼らは本当にキリスト教を唯一の宗教としていたのだろうか。
長年にわたるフィールドワークで、その受容の歴史と驚きの信仰世界が明かされる。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ドワンゴの提供する「読書メーター」によるものです。
パトラッシュ
120
長崎のカクレキリシタンは江戸幕府の厳しい禁圧下でも信仰を守り通したと思われているが、彼らが信じていたのはキリスト教とは似て非なるものだった。戦国期に大名の命令で集団改宗させられ、まともな聖書も司教による学びもなく2世紀余の禁教時代を過ごせば、現世利益追求や祖先信仰など日本的な要素が混入し変質するのは必然だろう。文盲の農民にとってオラショは呪文と化し、先祖伝来の信仰を意味不明のまま守るだけとなっていた。そんなカクレの姿を見て、明治以降の宣教師は正しい信仰を広めなくてはとキリスト教の日本化を厳しく拒んだのか。2026/06/18
よっち
29
250年の禁教を耐え抜き、信仰を守り抜いたと考えられている潜伏キリシタン。ゼ十ス様、丸や様とはだれか? 通説を覆す信仰世界を明らかにする1冊。彼らは本当に三位一体や原罪を理解し、キリスト教徒として生きていたのか? 宣教師不在の時代にラテン語の祈りは音としての呪文となり、イエスは霊験あらたかな御前様、マリアは丸や様として土着の神々に変容して、日本的な他界観と融合し、仏教の寺請制度に形式的に従いながら、家の中で独自の儀礼を続け巧みに共生した状況を明らかにしていて、宗教とは何か信仰とは何か考えさせる1冊でした。2026/04/29
イトノコ
23
衝動買い。潜伏キリシタン…いわゆる隠れキリシタンだが、従来の敬虔で信仰に殉じた人々と言うイメージは正しくないと言う。もともと一般民衆のキリシタンは大名の命令により改宗した人々で、宣教師から直接教えを乞う機会も、教えを正しく理解する知識もなかった。そのため「ご利益があるらしい外来の神」くらいの認識で八百万の神々のひとつとして信仰していたらしい。オラショの意味も失われ呪文化していた。それがいつしか「先祖代々の神で棄教すると祟りがある」となって殉教者を生んだ…つまり真に信仰されていたのは祖霊だということ。続く2026/06/03
さとうしん
22
戦国時代以来の日本のキリシタンは別に隠れていたというわけではないし、その信仰は完全に土着化したもので、本来のキリスト教とは別物であるという趣旨自体はまあそうだろうなと思う一方で、著者のキリスト教の判定基準が厳しすぎるのではないかと思う。著者の基準を適用すれば、同時代のヨーロッパの、特に庶民にどの程度キリスト教徒と言える人がいたのかということになるし、シャーマニズムを強く取り入れているという現代韓国のそれをキリスト教と認めていることからすると、二重基準ということにもなりかねないのではないか。2026/04/25
藤井宏
11
目から鱗が落ちたような感じ。禁教になる前、キリシタンに改宗した人の多くが仏教や神道を全面的に否定し新たに一神教のキリスト教を受容し、敬虔なキリスト教徒になったわけではない。また禁教後宣教師のいない中、厳しい迫害のもと殉教するほどに深くキリシタンの信仰を守り通してきたというのも単なるイメージ。先祖が大切にしてきたものを守り、意味がわからなくても口伝を呪文のように唱えてきた。独特な文化・歴史で面白い。2026/05/03




