内容説明
なぜ誰もが勅撰集に歌が収められることを願ったのか――
本書の主人公である後嵯峨院が何者かを知る人は少ないだろう。
天皇在位1242~1246、院政期1246~1272は、鎌倉幕府でいうと、
三代執権泰時から八代時宗に当たり、出来事としては承久の乱後、
御成敗式目制定後10年の時点から元寇直前までの間を指す。
本書では、この後嵯峨院が治天の君として君臨した時代を
日本史上空前の政治的安定期と目し、
政治と文化が融合した関係の全容を読み解きたい。
後世にまで影響をおよぼした、日本史の強固な地盤の一断面を明らかにする。
【目次】
序 章 古典とはこれ和歌なり
第一章 承久の乱後の政治と文化
第二章 後嵯峨院政の始動
第三章 御嵯峨院政の平和と古典的公共圏の成立
第四章 ポスト後嵯峨院時代の激動
終 章 後嵯峨院時代の余光
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ドワンゴの提供する「読書メーター」によるものです。
パトラッシュ
107
鎌倉時代の両統迭立が自派の権威付けのため勅撰和歌集を繰り返し編んだとは別の本で読んだが、その淵源は承久の乱にあった。乱による皇統の混乱の末に幕府の支援で即位した後嵯峨天皇は、政治的実権が失われたのをカバーするため勅撰集を編纂することで文化的に君臨しようと図った。このやり方が持明院統と大覚寺統の皇位継承争いに利用され、公家のみならず武家や寺院も参加する古典的公共圏が成立し、和歌こそ日本文化の伝統であるとの考えが定着したとする。歴史上は無名な後嵯峨院だが、巨大な文化的実績を築いた隠れ名君といえるかもしれない。2026/05/26
Go Extreme
2
👑承久の乱:皇統混乱⇒後嵯峨天皇即位 🤝鎌倉幕府:支援⇒実権:幕府>朝廷(天皇マイナス実権) 📈打開策:後嵯峨院政⇒勅撰和歌集編纂=文化的君臨(権威担保) 🌸古典的公共圏の成立:公家+武家+寺院⇒和歌=日本伝統(アイデンティティ確立) ⚔️ポスト後嵯峨:持明院統⇔大覚寺統(両統迭立)⇒自派の正統性証明:勅撰集=政治力学の武器 ⚡結論:和歌+権力=中世の強固な統治システム2026/06/09
スシウォーク
1
凡庸の帝王だったからこそ、長期安定政権を維持し、古典的公共圏を定着させた後嵯峨院。為家に編纂を命じた『続後撰集』無為無難なものとなったが、後鳥羽院、順徳院、土御門院が入集して復活。順徳院の入集数がやや少ないのは、後嵯峨院の父・土御門院をより重視したため。自ら主催した歌合には、九条家から前内大臣基家が加わっており、やや不遇を託っていた基家は復活を遂げた。2026/06/11




