内容説明
「西軍敗戦で豊臣家は一大名に転落」「征夷大将軍は唯一の天下人」「家康は豊臣滅亡を虎視眈々と狙っていた」「方広寺鐘銘問題は言いがかり」「大坂方は騙されて内堀まで埋めさせられた」。諸説せめぎあう中、「二重公儀制」論を掲げる近世史の第一人者が、関ヶ原から「戦国最後にして最大の激戦」に至るまでの真相を明らかにする。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ドワンゴの提供する「読書メーター」によるものです。
よっち
26
関ヶ原から大坂夏の陣に至るまでの政治的・軍事的展開を「二重公儀制」という視点から再構成し、従来の理解に新たな光を当てる1冊。西国に広がる豊臣系大名の存在、秀頼家臣団の知行地の広がりなど、豊臣家は関ヶ原敗戦後も依然として大きな権威を保持し家康も当初は宥和を模索していた状況がどう変化したのか。開戦のきっかけとなった方広寺鐘銘問題、真田信繁の「日本一の兵」という伝説的評価に対する虚実などについても分析していて、関ヶ原の合戦後から豊臣家滅亡に至るまでの悲劇を多角的に捉え直したなかなか興味深い1冊になっていました。2025/11/24
チェアー
3
1603年の征夷大将軍任官以降は、徳川は東日本、秀頼が西日本をそれぞれ経営することを構想していたと筆者は主張する。「二重公儀」体制を両者は了解していたとの見方だ。しかし、疑念がある。豊臣家は西側を実質的に統治していたのか。統治なき二重公儀とはなんなのか。2025/12/17
於千代
2
徳川家康は当初、西国を直接統治する意図はなく、いわば二重公儀体制を志向していたとする主張。秀忠の代になると、関ヶ原で減封された毛利・上杉・佐竹らが秀頼を担ぎ、第二の関ヶ原を引き起こす可能性が意識され、その芽を摘むために豊臣家の力を削ぐ方針へ転換した、という理解だと思う。 近年の征夷大将軍研究を見ると、征夷大将軍が必ずしも武家の棟梁ではないことも示されており、将軍と関白による重層的な権力構造も想定し得るのかもしれないと感じた。2026/02/23
takao
2
徳川系大名と豊臣系大名(東国と西国)との二重国制を採用し、幕末まで続く。2026/02/22
wuhujiang
2
著者からして怪しかったが、興味ある分野だったので一応購入。そしてやっぱり駄目だった。この本は"論争"なのだろうか?著者の見解が述べられるのはいいのだが、通説はどんな本にどう語られているか、そして著者の"二重公儀論"に反対する意見は誰がどの論文で出しており、どんな根拠があるのか。このあたりが曖昧なので、論争というより著者の見解が示されるだけの本になってしまっている。大坂の陣の章については筆が乗った著者の想像で書かれたのか、何かしら依拠するものがあるのか全然わからなかった。2025/12/02
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