筑摩選書<br> 日蓮の思想 ――『御義口伝』を読む

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筑摩選書
日蓮の思想 ――『御義口伝』を読む

  • 著者名:植木雅俊【著者】
  • 価格 ¥2,200(本体¥2,000)
  • 筑摩書房(2024/06発売)
  • ポイント 20pt (実際に付与されるポイントはご注文内容確認画面でご確認下さい)
  • ISBN:9784480017994

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内容説明

『御義口伝』は、日蓮が身延山で口述した法華経についての講義を、弟子の日興が筆録したものとされるが、その難解さ故に解説書は少ない。そこに展開されている日蓮の法華経解釈、ひいてはその底流にある仏教思想を、NHK「100分de名著」の名講義でも知られる著者が懇切丁寧に解説する。南無妙法蓮華経と唱えるのは、失われた自己を回復し、真の自己に目覚め、人格を完成させるためだと日蓮は説く。そうした日蓮の人間主義の思想を、『御義口伝』をテーマ別に再編成しつつ読み解く。

目次

はじめに/総論 南無妙法蓮華経とは/“御義口伝”について/帰命について/「無疑曰信」は、「不疑曰信」にあらず/「人と法」について/釈尊における「人法体一」/「人」を強調する宗教の長所と短所/「法」を強調する宗教の長所と短所/日蓮における「人法体一」/人法体一の平等観/不変真如の理と随縁真如の智/色法と心法について/色心不二と依正不二の意味すること/南無妙法蓮華経の言語学的な説明/梵漢共時とは、インターナショナル/薩達磨・芬陀梨伽・蘇多覧について/数法相配釈について/無明法性一体について/因果一体について/「声もて仏事を為す」について/三世常恒について/法界と妙法蓮華経について/まとめ/第一章 自己の探求/自で始まり身で終わるから始終自身/自身の受用を論じたのが自我偈/自受用身とは我等衆生のこと/一念三千とは何か/一念の全体像と心の自由度/“三身如来”の問題点/『維摩経』における法身/「法という身体」の矛盾/「人」と「法」の関係の逸脱/仏教は一神教的絶対者を立てず/“非我”か“無我”か? /“自力”か“他力”かの分類法に違和感/釈尊の説法も“始終自身”であった/自己との対決の必要性/第二章 汝自身を知れ/釈尊入滅後に行なわれた仏典結集/「如是我聞」に込められた三つの意味/インドにおける“聞く”の意味/我が身の上の法門/ソクラテスと釈尊の「汝自身を知れ」/日蓮の「汝自身を知れ」/第三章 日蓮の時間論/寿量品のあらすじ1/十界己己の我ら衆生が無作の仏/成とは開く義/已来の言の中に現在は有る/已も来も無量無辺/現在の瞬間に永遠を開く/無量無辺の一念三千/日蓮等の類いは寿量品の本主/久遠とは働かさず繕わずもとの儘/人間ブッダの神格化/釈尊滅後に始まった教団の堕落/釈尊の神格化と教団の権威主義化/容易に覚っていた初期仏教徒たち/「菩薩」という語による神格化/久遠とは南無妙法蓮華経/弥勒菩薩待望論への皮肉/久遠実成による諸仏の統一/一神教的絶対者への懸念/人間を離れてブッダはない/久遠は過去ではなく今・現在のこと/久遠とは立ち還るべき生命の原点/元初の一念は十界互具・一念三千の当体/久遠を今・現在に体現する/輪廻と業は仏教思想に非ず/過去の事実は変えられないが意味は変えられる/日蓮は凡夫なれば過去を知らず/法華経は選民思想に非ず/第四章 普遍思想としての人間尊重/常不軽菩薩の生きた時代/像法は“似て非なる教え”/常不軽菩薩の振る舞い/“常不軽”という訳の是非/在家・出家、男女、カーストを問わず/経典は読誦しないが人間を尊重/誰も語っていない空中からの声/人間尊重の振る舞いが『法華経』/其の意が同じであれば『法華経』/異宗教間の対立を超える視点/教主釈尊の出世の本懐は人の振る舞い/人間尊重の振る舞いは目的であり手段に非ず/常不軽菩薩の振る舞いを実践した人たち/得大勢とは大勢至のことだった/なぜ阿弥陀如来の脇侍を聞き役に? /善悪不二・邪正一如の礼拝/大慈悲心に立脚した礼拝/あらゆる人に仏知見を見ての礼拝/「不軽の解」により身口意の三業で人間尊重/自己から他者へ「不軽の解」の拡大/罵られ憎悪されても、憎悪せず/勝利は常に謗りを堪え忍ぶ人に/第五章 日蓮の男性観・女性観/「二求」と「求男」「求女」の出典/観音菩薩のルーツ/観音菩薩はジェンダー・フリーの象徴か? /中国での観音信仰の普及/儒教社会の不安解消としての観音信仰/「世間の果報」と「出世の果報」/「求男」は男性原理、「求女」は女性原理/「現世安穏」と「後生善処」/男性原理と女性原理の補完的関係/成仏とは人格完成のこと/「求男」「求女」両面の満足で人格の完成/慈悲にも男性原理と女性原理/求女は生死即涅槃を顕すなり/求男は煩悩即菩提を顕すなり/生死は身、煩悩は意に関係/男性原理は観念的、女性原理は身体的/「身の成仏」と「こころの成仏」/提婆と龍女の成仏の意味するもの/「 体 用」としての人格の完成/日蓮による独創的な提婆と龍女の捉え方/「如来性」は男性的な在り方/「如来性」顕現の最後の“カベ”は無明/無明の断破に女性原理は用をなさず/池上兄弟とその妻たちへの日蓮の教え/心の師とはなるとも、心を師とせざれ/龍女の主体的女性像の跡を継ぐ/時代・社会の偏見を超えての女人成仏/自己卑下する女性への励まし/女性を「聖人」「法華経の行者」と称賛/男女はきらふべからず/第六章 人間離れした諸仏・菩薩への批判/『法華経』『維摩経』等で批判された弥勒菩薩/如来の巨大化への批判/「自己」と「法」からの逸脱/第七章 神通力の意味の塗り替え/寿量品のあらすじ2/十方三世の諸仏について/二身論から三身論へ/一身と三身の相即/無作三身の依文/本仏と迹仏について/架空の如来への批判/人間関係において展開されるブッダの活動/何ぞ煩しく他処を求めんや/自然と生命の能動的働きの発現/星の生成と変化をもたらす万有引力/神通力を嫌悪していた釈尊/舎利弗による神通力の否定/釈尊の滅後に取り込まれた神通力/日蓮による神通力依存の否定/雨を降らせるための仏法に非ず/「釈尊の生まれ変わり」と「上行再誕」の違い/念力によるスプーン曲げ/神通力の限界を示すエピソード/成仏こそ如来秘密神通之力/第八章 仏教における信/無作三身を得るカギは信/サンスクリット語で「信」を意味する語/「以信得入」の背景/妄信の否定/第九章 日蓮の仏国土観/寿量品のあらすじ3/釈尊にとっての常住此説法/“法華経の行者”にとっての常住此説法/日蓮にとっての常住此説法/国土を尊くするのは「法」と「人」/一切衆生にとっての常住此説法/一切衆生の声が説法/末法の説法とは南無妙法蓮華経/第十章 日蓮の死生観/寿量品のあらすじ4/如来とは衆生のこと/如実知見こそ釈尊の覚り/生死も退出も本有常住の振る舞い/有無も生死も妙法の振る舞い/三諦論への展開/起も滅も、法性の起と滅/三身論への展開/元政上人の詩に見る無常と常住/元政上人の病を超越した詩/極楽浄土と霊山浄土の違い/参考文献/あとがき

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