内容説明
1985年の俵万智の登場以降の現代の短歌を、歌人にして社会学者が、年代ごと、世代ごとに読みといてゆく
だいたい1980年代以降について、さまざまな時評や座談会等はあるにせよ、短歌史は書かれることがなかった。
その理由は、菱川善夫、篠弘の仕事が一段落したこと、また社会や歴史などの「大きな物語」へ人々の関心が向かなくなったこと、によるだろう。
しかし1980年代半ばに俵万智が登場し、後述する「口語化」が進行していった歴史は短歌史の中でそれなりに重要であった。そして何よりも歌を詠み、読むにあたってはやはりその歴史を問い続けなければいけない……。(「序章」より)
【著者】
大野道夫
1956(昭和31)年神奈川県生れ、児童期に曾祖父の佐佐木信綱と出会い文学を志望する。75年東京大学入学、一留して80年同大学大学院(教育社会学専修)進学。92年仏教系大学の社会学教員として就職。
1984年竹柏会「心の花」入会、のちに編集委員、選歌委員となる。89年「思想兵・岡井隆の軌跡」で第7回現代短歌評論賞受賞。
目次
序章 現代短歌史研究のために
一章 1985年以降の1980年代――「ライトな私」とバブル経済
二章 1990年代――「わがままな私」とバブル経済の崩壊
三章 2000年代――「かけがえのない私」と失われた20年
四章 2010~2021年――「つぶやく私」と大震災・コロナ禍という文明災害
補章 現代短歌のカリスマ歌人――岡井隆と馬場あき子
五章 社会調査で検証する現代の短歌と歌人
終章「口語化」の諸局面とジェンダー、システム化、合理化の問題
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ドワンゴの提供する「読書メーター」によるものです。
かふ
14
「口語化」やネット短歌の中で私性が希薄になるのを「私」(作者)≒〈私〉(作品)という日本のあいまいなる「私」的な保守主義に傾きつつある傾向が出てきたのは大震災のあとの当事者性ということが言われたからだ。文学の世界では虚構性は「私」ではないという(当事者性を問題にしないから他者が描ける)当たり前だと思っていたことが通じない。最後はヴェーバーとか持ってきてそれに当てはめようする。まあ、そうは言ってもますます私性は希薄になりつつあるのだと思う。俳句は私性は消してアニミズムの方向となっているのだがその差異なのか。2025/02/26
ニュー澄
4
歌人であり社会学者でもある著者が現代短歌史を描く試み。本書によれば、現代短歌は①修辞(ことば)②主題(こころ)③私性(わたくしせい)という3つの意味で「口語化」している。その潮流を私なりに敷衍すれば、平易な言葉で身近なテーマを詠い、作中主体は作者そのものではなく、さりとて作者とも断絶していない、といったところか。私自身最近歌をものすようになったが、本書のいう「口語」的な歌はどうも詠めぬ。気取った文語で詠みたいし、本歌取りも試みたい。先人に思いをはせて悲歌慷慨したい。百合に男なきが如く、歌の中に私はいらぬ。2025/11/19
manabukimoto
2
現代短歌の傾向と背景。 俵万智を起点としての、現代短歌考察。修辞(ことば)の口語化、かるい主題(こころ)への市民権、私性(わたくしせい)の「私」(作者)≒〈私〉(作中主体)への変化。p48 私不在の自然やら、ただただ内面化したジメジメした己を謳ってきた短歌の決定的な分岐点。俵さんの歌の学問的な位置付けが理解できた。 四章にあった、石井僚一さんの父への挽歌が新人賞を取ったが、父は存命で、父の祖父への思いだった問題が、興味深かった。作品における「私」が誰か問題。 鑑賞と学習。一冊で二倍楽しめた。2023/08/27




