内容説明
「人生百年時代」とはいうけれど、心身の衰えや経済的不安など、長生きするほどに心配のタネもまた尽きないものだ。文筆を通して世の移り変わりを見つめて半世紀余、著者も70代から80代を通り過ぎ、90代へと突入した。ボケる思考、ガタつく体を日々実感しながらも、ひとり軽やかに「老年の荒野」をゆく―人の生き方と考え方、日本も世界も目まぐるしく変わる時代に、ユーモアをまじえて綴った卒寿の本音。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
あすなろ
100
週刊新潮連載を収録した一冊。御歳90歳になられた先生。そして、コロナ禍・ウクライナへの露の侵攻・同年同月同日生の石原慎太郎氏の没後等、健康ではあられるものの些か筆の暗鬱さを感じられたのは要らぬ心配か。若い世代さえも暗い辛い時期だったのだから当然とも言える。表題は複数のモチーフに用いられてはいるが、あくまで日々の先生のエッセイ集。最後の編において、名僧・老師等の悟りとは何かが最近分かってきた、と仰られる。つまり、悟ったとは正しくボケた人ではないか。深くボケる・高くボケる境地。なるほどと思わされたのである。2023/03/26
coldsurgeon
8
卒寿を迎えた著者のエッセイ。ボケを加齢によって自然に訪れる人間的な変化と受け止めれば、ボケを病気として退治することh止めたほうが良い。正しくボケる、人に好かれるボケかたをする。というようなことで最終章に落ち着く。加齢は身体の各所バラバラで進行していく。身体は枯れても、心は枯れないので、妙な意気込みをもって、生きていこうとする。転倒しやすいので、下を向いて歩こうと、「上を向いて歩こう」と口ずさむのである。「死」は思索から現実へとかわる高齢者の日々である。2023/04/21
takao
3
ふむ2024/03/18
あきひと
3
齢90を目前にした五木さんの最新エッセイ。どうせボケるなら他人様に迷惑を掛けないようにしたいし、薬に頼らずに身体を養生することが趣味とおっしゃる。「耳が遠くなるのはボケの最大の原因である。そこで鼓膜トレーニングをずっとやってきた。」どんなトレーニングだろうか。日常のトピックを書かれているがどれも興味深い。<したいけどできない>は空想であって、<できないけどしたい>が理想ともおっしゃる。どこまでもポジティブな五木さんである。2023/10/04
とことこ
2
御歳90歳を迎えるこの方の文章は、優しいが説得力がある。2023/07/26