内容説明
老小説家の父親の出生地、岐阜県各務原市での講演という体で小説は書き始められる。その講演では岐阜近辺出身の文人が次々に召喚され、文化的磁場としての岐阜について語られるかと思いきや、認知症が進行していく妻とのやり取りの場面が挿入される。老小説家が関心を持って接してきた遠い過去からごく最近までの文学者たちの言葉と、日常生活を営むことが困難になりつつある妻の言葉が折り重なるように記されつづけたその奥からぼんやりと見えてくるのは、齢八十代半ばに至り健康体とはいえない老小説家が、どうしようもなく疲労しつつも生きて書くことの闘いをやめようとしない姿である。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
hasegawa noboru
20
晩年の小島信夫の諸大作については、こんなのが小説か一体いつ終わるのかとイライラして眺めていた覚えがあって、その頃は小説は、何らかのストーリーがあってその意味を解釈分析して鑑賞するものだという構えた姿勢があってのことだろう。今読んでみると、文脈において分かりずらい箇所が多々ある文体ではあるが、闊達自在こういうのが、新しい小説かなと思うようになった。老作家コジマノブオの暮らしが、横道へそれ、道草を食ったりしながら、終わりない日常として語られ、繰り返し拡がるようだ。七十四歳の妻アイコさんにアルツハイマー氏病の2025/02/13
真琴
8
老作家コジマ(小島信夫)の文学論であり人生論、そして認知症の妻との生活のこと。妻を尊重し向き合う様に胸を打たれる。高橋源一郎さんの解説が痛快。巻末の年譜を眺め人生の厚みを感じた。2024/09/26
フリウリ
8
認知症になった妻と暮らしている夫(小島氏)の話が、本書の柱にはなっていますが、本書のおもしろさの根底にあるのは、小島氏が捉えている世界の「確かさ」と、その世界を生き延びて、個人として、また妻とともに探求することの「喜び」ではないかと思いました。巻末の「年譜」を見つつ、小島氏の若い時の作品は数冊しか読んでいないにしても、おそらくわたしは、年老いてからの作品が圧倒的に好きだろうと思いました。高橋源一郎による解説はバランスよくかつ痛快で、言及されている「小谷野敦」という人とは、友達になれないと思いました。102023/07/11
takao
3
ふむ2024/03/17
真琴
2
再読2024/10/08