内容説明
「なぜ古典を学ばなければならないのか」という生徒たちの声にどう応えていくのか。
これからの古典学習論のために、国語教育に携わるすべての人の必読書。
生徒たちの声に応えるにはまず、いつから古典教育は始まり、今に至ったのかという、古典教育史を分解・点検しなければならない。本書は、従来、戦後から唐突にはじまってきた古典教育史を見直し、教材研究のあり方を問い、現在そして未来の国語科教育の理論を形成するための基盤を整えようとする。
近代における古典の教材的価値の成立の様相を明らかにしながら、一方で、現代における古典教育(教材)の問題点を指摘し、過去と現在を行き来しながら、古典教育の機能を考えなおす書。
【機械を部品単位で分解・点検し、必要な修復や部品の交換を行い、新品時の性能を発揮する状態に戻すことを「オーバーホール」(Overhaul)という。機械式時計であれば数年間に一度はオーバーホールが必要と言われている。本書では明治から現在に至るまでの古典教育史を分解し、点検を行っていく。どこかに摩耗してしまった交換するべき部品はないだろうか。その摩耗した部品を引き続き使い続けようとはしていないだろうか。古典教育をオーバーホールすることで、古典教育の機能を新たな形で復活させる糸口をつかむことが本書の試みである。】...はじめにより
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
ozean-schloss
1
古典教育の根本「古典教育は何のためになされるのか」について国語教育史や古典文学研究の知見から読み解いた書。星3。元が大学の論文であることもあって論のプロセスも丁寧なものになっている。 が「古典教育のオーバーホール」が目的である割には、国語教育のもう1つの古典である漢文や、世間一般的な「古典」(クラシック音楽や諸学問の古典研究など)について言及がない。 「古典教育」の対象が日本の古典文学のみという現状が問題の根幹なのに、本書ではその問題の根幹に迫っているとは言い難い。2022/11/01
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