内容説明
「顔色をうかがう」「顔に出る」「顔を突き合わせる」――顔は身体の一部であるとともに、「他者と共に在る」ことを可能にしている器官でもある。顔の不在を物語る村上春樹や多和田葉子の作品から、他者と向き合う困難と可能性を描き出す文学批評。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ドワンゴの提供する「読書メーター」によるものです。
らぱん
17
顔は個体の識別の材料以上の意味があり、言い切ってしまえば「顔は人なり」が前提での話である。その上で、顔がないとはどういう意味を持ち、どんな影響を及ぼすのか。その切り口で個別の文学を評論している。現実ではコミュニケーションにおいて顔以外からも情報を受信発信している。それに比べれば、物語では情報はこちらからの取捨選択が出来ず、顔の存在は現実よりも重い意味を持つだろう。視点として面白いと思えたところはあったが、驚くような示唆はなかった。2019/04/03
田中峰和
3
顔の剥奪とは何か、一つは探偵小説における首なし死体と毀損された顔、もう一つは表情のない顔。前者は人類が最初に体験した大量殺戮戦争である第一次大戦によって生じた膨大な屍の山を象徴し、ポオの作品などに影響を与えている。後者の表情については、多和田葉子の「ペルソナ」の解釈が興味深い。著者自身が体験なのか、ドイツで暮らす道子のデラシネ感が描かれる。東アジア人は無表情だから何を考えているかわからないというドイツ人の意見。韓国人と自分の容貌は違うという弟の発言にも違和感をもち、能面を被って街を歩く道子の姿が痛々しい。2016/11/28
らむだ
2
探偵小説に描かれる顔のない死体。村上春樹・多和田葉子・林京子の小説に現れる『空虚な「顔」』、『異邦の「顔」』、『引き裂かれた「顔」』の表象を辿り、最後に探偵メグレの『顔の回復』の試みを示して閉じられる。 文学に登場する損なわれた顔から、他者との共在の困難と可能性を探った一冊。2022/01/27




