内容説明
【複数色を使用したコンテンツです。モノクロ端末では一部読みづらい場合がございます】聖画に神は宿るのか――。西洋美術作品はもともと「読む聖書」として普及された。その後、偶像崇拝が禁止される歴史がある一方で、美術作品として広く鑑賞されるものに変わった面もある。作品を理解することは信仰や祈りに通じるだろうか。美術と宗教のあいだにある本質を歴史と信仰から探究する対談。「宗教は信仰する人にとって絶対的なものであり、美術よりも強力だといえるが、言葉によらない美術は個々の宗教を超えた普遍性を持っており、より広く開かれている。美術は誰にでも親しめるものだが、それを支えているのが宗教である。」(はじめに――宮下規久朗より)「イコンそのものを崇拝する、聖書のテキスト、あるいはそこから派生した理論的に精緻な神学を崇拝することは、キリスト教が厳しく禁じる偶像崇拝だ。美術や神学を通して、その背後に確実に存在する神を想うことが、キリスト教的に正しいアプローチなのだ。」(おわりに――佐藤優より)
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
アキ
101
宮下規久朗と佐藤 優はお二人ともキリスト教徒であり、主に西洋美術とキリスト教の関係についての対談である。宮下氏のキリスト教絵画の解説を、佐藤氏が補足するので読みやすい。美術の始まりは「目に見えないものを視覚化すること」だとすると、イコンとはキリストの痕跡であり、神を崇拝するための窓である。カトリックが聖母を重視するのは、日本におけるキリスト教の普及のように、土地の信仰との土着化に有用だったからである。美術を通して目に見えない神を見ようとするのなら、美術こそ宗教であり、宗教以上の効用もあるのではないか。2021/12/27
trazom
92
博覧強記で饒舌の佐藤優さんが聞き手に回るほど、宮下先生の見識が傑出している。「偶像(idol)」と「聖像(icon)」の違いを定義し、聖像は「神を見るための窓」だとする。ルネサンス、宗教改革、イコノクラスムなどを振り返りながら論じられる偶像崇拝と美術との関係は面白いが、二人して「美術は宗教を超える」と意気投合する終着点は少し安直な感じがする。新鮮だったのは「プロテスタントが唯一絶対とする聖書主義も、実は「テキスト」を崇拝するという意味で偶像崇拝」だという佐藤さんの指摘。「聖書は書かれたイコン」なのか…。2021/08/18
あーびん
26
もともとキリスト教では偶像崇拝を禁止していたが、イコンはあくまで「窓」であり「窓を通して神に祈る」という認識で偶像崇敬を正当化した。(ウィンドウズを開発したビル・ゲイツはカトリック、画像=アイコン。とても宗教的)また、正教会では聖書をあまり読まない代わりに、物体としての聖書やイコンを「聖なるもの」として崇敬する。これは仏像や仏画からの連想で神の絵それ自体を「神」と考える日本の踏み絵と共通する印象で興味深い。イコノクラスムにおけるクラーナハとデューラーの対比が面白い。2021/07/02
gtn
23
佐藤氏は宗教の土着化を肯定しているが、中には踏み絵のように、本来イコンに過ぎないものを神格化する例もある。郷に入れば郷に従えではないが、ある程度習俗に溶け込むことには賛成。だが、度が過ぎれば民衆救済という原点を見失う危険がある。2021/07/23
umeko
15
美術と宗教は密接に関係しており、宗教が美術に影響を与えていると思っていた。「美術鑑賞は宗教行為」は、これからの美術鑑賞がこれまでとは一線を画したものになるくらい、興味深く読んだ。2021/07/31