内容説明
この書物は、十四、五世紀を、ルネサンスの告知とはみず、中世の終末とみようとする試みである。中世文化は、このとき、その生涯の最後の時を生き、あたかも思うがままに伸びひろがり終えた木のごとく、たわわに実をみのらせた。古い思考の諸形態がはびこり、生きた思想の核にのしかぶさり、これをつつむ、ここに、ひとつのゆたかな文化が枯れしぼみ、死に硬直する――、これが、以下のページの主題である。この書物を書いていたとき、視線は、あたかも夕暮れの空の深みに吸いこまれているかのようであった。ただし、その空は血の色に赤く、どんよりと鉛色の雲が重苦しく、光はまがいでぎらぎらする。
いま、書いたものをよみかえしてみて、こう思う、もうすこし、この夕暮れの空に視線をとどまらせていたならば、にごった色もしだいに澄み、ついにはまったき澄明さにいたったのではなかったか、と。(「第一版緒言」より)
歴史家ホイジンガが、中世人の意識と中世文化の全像を精細に描きあげた不朽の名著。
【目次】
XIII 信仰生活のさまざま
XIV 信仰の感受性と想像力
XV 盛りを過ぎた象徴主義
XVI 神秘主義における想像力の敗退と実念論
XVII 日常生活における思考の形態
XVIII 生活のなかの芸術
XIX 美の感覚
XX 絵と言葉
XXI 言葉と絵
XXII 新しい形式の到来
史料紹介
参考文献
索 引
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
kasim
30
中世とルネサンス、相通じるところもありながらここは違う、という風に論調が二転三転するので結構疲れた。多くの人びとの心で形成される文化を語るのはそれだけ入り組んでいるということなのだろう。この時代は視覚偏重(遠近法を発見したルネサンスとの違いが知りたいところだけど、ない)で、それが思考を萎縮させ、物事の重層性に踏み込まず何でも表層的に擬人化し単純な羅列に満足する、というのはまるで現代! 「遊び」への言及もいくつかあり、『ホモ・ルーデンス』も読んでみたくなる。視覚論も面白そう。スタフォードとか。2019/12/16
塩崎ツトム
17
ノートを取りながら読んだ。中世という千年にもおよぶ時代の集大成は、爛熟といえば聞こえがいいが、ありとあらゆる価値観が「西ヨーロッパ」的に塗りつぶされ、西洋がカトリックの植民地化が完了した時代で、そこからは新しいものが生まれるというよりは、なにもかもがはち切れて、そこから砕けた諸々から、新しい信仰、新しい文化、新しい経済圏が立ち上がったんじゃないか……。ウルトラバロックののちのルネサンス。そこには現代人ではもはや想像もできない断絶があって、時代は決して漸次的に進歩していかない……。2025/07/28
roughfractus02
8
信仰に浸された日常では、森羅万象が「しるし」として現れる。『薔薇物語』を読む著者はその修辞に、教会に独占され、民衆には口頭で語られる聖書の様々な抽象概念の極端な擬人化を見出す。教会から聖書の知を得る民衆は、象徴主義的な神の代理人である彼らの語りに神秘的な「しるし」を読むしかない。移動する騎士団から伝えられる異邦の言葉とも相俟って、この修辞の力は神秘主義思想を広める素地ともなる。一方、オスマン帝国との度重なる戦争は国家同士の利害を前景化し、騎士道思想の衰退を促し始めている。合目的的思考は中世の終末を告げる。2019/03/18
Copper Kettle
7
手強かった。特に前半の象徴主義や神秘主義を扱った章。中世の人たちが実際に書いた文章が引用されているんだけど、何度読んでもさっぱり分からない...中盤から後半にかけての芸術(主に絵画、彫刻、文学)についてのパートはまだ文章としては理解できた。ただ例えば具体的な絵画を取り上げて説明されてもその絵を知らないので...ネットで検索したりしたけど。という具合で読んでる時は理解したつもりでいても、自分の言葉で説明できるぐらいには消化できていない。けどこれで一旦中世モノは終わりにして先に進もうと思います。2022/08/24
Fumoh
5
下巻は上巻よりも抽象的な問題を扱っていますが、ここはかなり熱が入っているので、ホイジンガの今作における中心テーマだったのではないかと思います。すなわち「中世人の精神構造」です。精神構造といっても内部トピックは多岐にわたり、信仰生活、想像力から象徴主義、神秘主義と実念論、思考形態、そして後半の非常に長い芸術論(文学と絵画)、最後に締めとしてルネサンスへの移行の実相を描きます。これだけ多岐にわたるものだと、それぞれのトピックを深堀りするわけにはいかず、訳者もときどき苦言を呈していますが、十分に典拠が明示され2025/05/25