- ホーム
- > 電子書籍
- > 教養文庫・新書・選書
内容説明
なぜ欲望に負けてしまうのか。役に立つ、楽しい人だからと愛するのは、愛なのか。快楽を追究するのは悪いことなのか。下巻では、行為と思慮深さの関係、意志の弱さにかんする哲学的難問、人生における愛と友人の意義、そして快楽の幸福への貢献についてアリストテレスは根源的に考え抜きました。現代的な意味をもつ究極の「幸福論」。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
のっち♬
118
「知覚としての知性」を考察し「個別から普遍へ」のモチーフと知性主義の立場を明確化した上で日常倫理を扱う。抑制のなさや愛といったテーマは具体的で、知性と動物性が拮抗しやすいからこそ共同性の本質が問われる。乱世の家父長制とて愛は公共の正義で片付かない。議論を呼ぶ含意や確立性のゆるみは普遍性の鍵でもある。波瀾の遍歴を持つ著者は友愛の尊さが身に染みているらしく、高潔の頂点が孤立しない旨や作者視点の喜びは経験に基づくと思われる。政治も友愛もキャパに限界がある人間の本質を俯瞰的に踏まえ、幸福への学問的考察を促す名著。2023/01/26
molysk
67
下巻において、議論は「知的な徳」、意志の弱さ、友人への愛と進んだのち、幸福論の結論へと至る。「知的な徳」は、善き行為を為すための実践的な思慮深さ(フロネシス)が貴いものであり、「人柄の徳」につながるとする。アリストテレスの結論は、「知的な徳」が至高の幸福であり、「人柄の徳」をこれに次ぐとするが、幸福には「人柄の徳」も欠かせないと解釈すべきであろう。人は自分で身に付けた徳で幸福を得ることができる、たとえ外的な恵みが欠けたとしても。――人は大地と海を支配しなくとも、美しいことを為すことができるからである。2023/01/07
ころこ
45
徳(アレテー)と中庸といえば、日本人の多くが中国文化圏を想起します。中途半端に聞きなれていて客観視できないことが、この議論を理解し辛くしているのかなという印象です。ヘレニズム文化と中華圏の相似なのか(恐らく人間の身体性から、どの文化圏でも考えることは似てくるということだと思いますが)、それともヘブライズム的な近代性に対する意識の過剰さ故なのか。知性上の徳と品性上の徳とに分け、その区別にはロゴスが関係しているというように、ここから様々なリファレンスが生じそうなややこしい議論がなされていて、非常に苦しいところ2021/10/30
中玉ケビン砂糖
40
【覚書】再読・精読すべし。2023/01/13
かわうそ
39
アリストテレスが直々に幸福論について講義してくれる贅沢な一冊。彼は特に抑制のない人に手厳しいように思えます。なぜなら抑制のなさというのは不良性を含みなおかつ、快楽のために自分にとって悪い行為をしてしまうからです。故に抑制のなさには必ず後悔が生まれるのだといいます。放埒な人には後悔が伴うということはありません。後悔が伴わないからこそ放埒な人だと呼ばれるのです。であるので、抑制のない人は放埒な人とは違って説得が可能であるという点でまだ救いがあるような気もします。美しいことを選択する高潔な人になりたいものです。2023/11/04