内容説明
平凡無垢な青年ハンス・カストルプははからずもスイス高原のサナトリウムで療養生活を送ることとなった.日常世界から隔離され,病気と死が支配するこの「魔の山」で,カストルプはそれぞれの時代精神や思想を体現する特異な人物たちに出会い,精神的成長を遂げてゆく.『ファウスト』と並んでドイツが世界に贈った人生の書.
目次
目 次
まえがき
第 一 章
到 着
三十四号室
レストランで
第 二 章
洗礼盤と二つの姿の祖父のこと
ティーナッペル家で。そして、ハンス・カストルプの倫理状態について
第 三 章
謹厳なしかめっつら
朝 食
からかい。臨終の聖体拝受。たちきられた上きげん
悪魔(satana)
頭脳明快
一言失言
もちろん、女さ!
アルビンさん
悪魔(satana)ぶしつけな進言をする
第 四 章
必要な買いもの
時間感覚についての余談
フランス語の会話をこころみる
政治的にうさんくさい!
ヒ ッ ペ
分 析
疑問と考察
食事中の談話
昂じる不安。二人の祖父のこととたそがれの船あそびについて
体 温 計
第 五 章
永遠のスープと突然の明るさ
「ああ、見える!」
自 由
水銀の気まぐれ
百科辞典
フマニオーラ
探 究
亡者の踊り
ワルプルギスの夜
訳 注
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
ヴェネツィア
345
物語の時間が始まるのは第1次大戦の10年前である。ハンス・カストルプはハンブルクからスイスの保養地ダヴォスに向かった。当初は3週間の予定であった。ところが、これが大幅に狂い始める。上巻の終わりの段階でも既に7か月をハンスはこの地の療養所で過ごすことになる。ダヴォスはもちろん実在の地であるが、そのリアルが全てであるとは思えない。ここは象徴的にも隔絶した地なのではないか。そして、その象徴性はどうやら場所の問題に限らないのではないか。末尾のワルプルギスをはじめ、様々なイメージ表象が背後にありそうである。2023/12/08
NAO
53
スイスの山奥にあるサナトリウム。従兄の見舞いに行ったハンス・カストルプは、滞在期間の最後に風邪をひき、結核と診断されてサナトリウムでの療養生活に入る。見舞いの三週間と、療養生活に入ってからの時間の描かれ方の違いが象徴的で、病と死が支配する「魔の山」は、「時が止まった場所」でもあることが印象付けられている。時が止まった場所だからこそ、ここでは人間の精神的な面が重要視され、誰もがちょっと大げさすぎるような論を大真面目に語り合う。個性的な登場人物たちの中で、無垢なカストルプ青年はどう変わっていくのだろう。2015/11/12
cockroach's garten
41
図書館で借りた本。途中で挫折しました…。まず、岩波文庫特有の米粒みたいな文字がびっしりと止め処なくページを埋め尽くしていて、読み辛かった。やっぱり新潮文庫から読んでみることにします。話は面白く、途中で止めるのは惜しい気もしたのですがね。2017/02/03
燃えつきた棒
36
だいたい、ハンスの行動は最初から変だった。 普通の健康な人間にとって、病や病者とは通常禍々しくて遠ざけるべきものであって、誰も病者の群れの中に三週間も身を置こうなどとは考えないだろう。 そんなことを考えるのは、早すぎた父母の死(二人とも【彼の五歳ど七歳のあいだに死んだ】)から類推して、自らの体内にもすでに死が育ちつつあるのではないかとの不安を抱いている者だけになし得ることではないだろうか?/2024/05/06
イプシロン
34
見事な構成と重厚な叙事性で、主人公ハンスが生と死の架け橋となり生死を両立させた人生を模索していくさまが荘重に語られる、崇高な教養文学。死とは神への愛であり、生とは人文主義者(ヒューマニスト)たれということが仄めかされるのが上巻。生と死が錯綜して入り乱れるワルプルギスの夜という饗宴で、ハンスがショーシャ夫人に純愛を告白する場面の美しさたるや! 夫人を呼ぶ「君」は相手を神(he)として崇める視線であり、婦人の肉体に宿る生命への賛歌は惜しむことなき人文主義的賞嘆であるのだ。あまりにも見事な構成に戦慄が走った。2018/06/14