超越と実存―「無常」をめぐる仏教史―

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超越と実存―「無常」をめぐる仏教史―

  • 著者名:南直哉【著】
  • 価格 ¥1,584(本体¥1,440)
  • 新潮社(2018/07発売)
  • ポイント 14pt (実際に付与されるポイントはご注文内容確認画面でご確認下さい)
  • ISBN:9784103021322

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内容説明

「諸行無常(=すべての“実存”は無常である)」。そうブッダが説き始まった仏教は、インドから中国、そして日本へと伝わる過程で、「仏性」「唯識」「浄土」などの「超越的理念」と結びつき、大きく変化していった。「恐山の禅僧」が、ブッダから道元までの思想的変遷を「超越と実存の関係」から読み解く、かつてない仏教史の哲学。

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

SOHSA

46
《kindle》著者の仏教観はとても興味深い。僧侶でありながら一心な信仰、帰依を説くのではなく、仏教の成り立ちとその思想、その後の変遷を冷静に分析し、仏教の持つ独特の思考を明らかにしようと試みている。一見、その言説は難解に見えるが、順序立て丁寧に整理することによって、むしろ仏教の本質、各宗派の異なりを解りやすく提示してくれている。特に基督教など一神教と超越的存在を求めない原始仏教の違い、形而上学へ言及しないことのブッダの教えなどは、仏教への理解を深めるための重要な糧となった。素晴らしい書に巡り会えた。2021/02/16

おさむ

37
永平寺で20年修行した後、恐山に移ったという僧侶の著した仏教史。世の思想には仏教とそれ以外しかない、と説く。そのこころは、仏教は無常と呼ぶ実存には存在根拠が欠けていると考えるが、仏教以外の思想は根拠があると考える。つまり実存を超越抜きで考えるのが仏教。現在は仏陀の生きた時代、鎌倉時代と並び、従来の共同体秩序が動揺しているといい、今こそ超越と実存を考えるべきだと説く。うーん、斜め読みでも素人にはかなり難解でした。追記.なるほど今年の小林秀雄賞作品か、どうりで。2018/08/28

松本直哉

31
仏陀が「我は考えて有る」が迷わせる不当の思惟だというとき、彼は既にデカルトを否定してサルトルまで到達していた。存在にはいかなる根拠も意味もないことに目覚めて初めて苦しみから解放される。だがその悟りを意識化・言語化すればするほど、悟りの境地が実体化されてやがて超越的な価値となることを避けられない。根拠のない実存に耐えられる人は少ない。だれでもなんらかの「よりどころ」「意味」を求めてしまう。仏陀以降の仏教史は超越的価値を付加しながら仏陀から乖離する過程だった。わずかに道元だけが「非思量」によって仏陀に近づく2018/09/09

SOHSA

25
《kindle》2年振りの再読。某動画サイトで本書の感想が述べられていたことに触発され再読を試みた。本書から受けた印象は初読の時とはまた異なったものだった。非常に分かりやすく仏教史を整理されているが、それのみに留まらず、タイトルである「超越」と「実存」との関係がそれぞれの仏教の中でどのように解されどのように利用されているか明確に理解できた。その上で現代の日本仏教から何を見出すかは、読み手一人ひとりの問題である。時をおいてまた再読したい。2023/06/01

えも

24
難しかった! 1週間かかった! でも名著だと思います▼「無常」について考え続けた禅僧が、ブッダからインド仏教、中国仏教、そして日本仏教の変遷を、今の言葉で、思想史として語ってくれます▼仏教とは、本来は実存のみを重視し、実存の根拠としての超越的存在を必要としない、そんな稀有な哲学、思想だったのに、時代の変遷につれ、そこに超越が介入してくる、その理由が明らかになります▼ブッダは何を考えたのか、竜樹は、達磨は、空海は、法然は、親鸞は、道元は何を考えたのか。それらがとてもクリアになりました▼手元に置きたい本です♪2018/11/04

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