内容説明
古代ギリシアにおいて初めて倫理学を確立した名著.万人が人生の究極の目的として求めるものは「幸福」即ち「よく生きること」であると規定し,このあいまいな概念を精緻な分析で闡明する.これは当時の都市国家市民を対象に述べられたものであるが,ルネサンス以後,西洋の思想,学問,人間形成に重大な影響を及ぼした.
目次
目 次
第 一 巻
第 一 章 あらゆる人間活動は何らかの「善」を追求している。だがもろもろの「善」の間には従属関係が存する
第 二 章 「人間的善」「最高善」を目的とする活動は政治的なそれである。われわれの研究も政治学的なそれだといえる
第 三 章 素材のゆるす以上の厳密性を期待すべきではない。聴講者の条件
第 四 章 最高善が「幸福」であることは万人の容認せざるをえないところ。だが、幸福の何たるかについては異論がある。
(聴講者の条件としてのよき習慣づけの重要性)
第 五 章 善とか幸福とかは、快楽や名誉や富には存しない
第 六 章 「善のイデア」
第 七 章 最高善は究極的な意味における目的であり自足的なものでなくてはならない。幸福はかかる性質を持つ。
幸福とは何か。人間の機能よりする幸福の規定
第 八 章 この規定は幸福に関する従来のもろもろの見解に適合する
第 九 章 幸福は学習とか習慣づけとかによって得られるものか、それとも神与のものであるか
第 十 章 ひとは生存中に幸福なひとといわれうるか
第十一章 生きているひとびとの運不運が死者の幸福に影響をもつか
第十二章 幸福は「賞讃すべきもの」に属するか、「尊ぶべきもの」に属するか
第十三章 「徳」論の序説──人間の「機能」の区分。それに基づく人間の「卓越性」(徳)の区別。知性的卓越性と倫理的卓越性
第 二 巻
第 一 章 倫理的な卓越性ないしは徳は本性的に与えられているものではない。それは行為を習慣化することによって生れる
第 二 章 ではいかに行為すべきか。一般に過超と不足とを避けなくてはならぬ
第 三 章 快楽や苦痛が徳に対して有する重要性
第 四 章 徳を生ぜしめるにいたるもろもろの行為と、徳に即しての行為とは、同じ意味において善き行為たるのではない
第 五 章 徳とは何か。それは(情念でも能力でもなく)「状態」である
第 六 章 ではいかなる「状態」であるか。それは「中」を選択すべき「状態」にほかならない
第 七 章 右の定義の例示
第 八 章 両極端は「中」に対しても、また相互の間においても反対的である
第 九 章 「中」を得んがための若干の実際的な助言
第 三 巻
第 一 章 いいとかわるいとかいわれるのは随意的な行為である。随意的とは(1)強要的でなく(2)個々の場合の情況に関する無識に基づくものならぬことを意味する
第 二 章 徳はよき行為がさらに、(3)「選択」に基づくものなることを要求する。「選択」とは何か。それには「前もって思量した」ということがなくてはならぬ
第 三 章 だが思量とは何か。──かくして「選択」とは「われわれの自由と責任に属することがら」に対する「思量的な欲求」である
第 四 章 「選択」が目的へのもろもろのてだてにかかわるのに対して、「願望」は目的それ自身にかかわる
第 五 章 かくして徳はわれわれの自由に属し、したがって悪徳もまたわれわれの責任に属する
第 六 章 勇敢は恐怖と平然と(特に戦いにおける死についての)にかかわる
第 七 章 それに対する悪徳。怯懦・無謀など
第 八 章 勇敢に似て非なるもの五
第 九 章 勇敢の快苦への関係
第 十 章 節制は主として触覚的な肉体的快楽にかかわる
第十一章 節制・放埒・無感覚
第十二章 放埒は怯懦よりもより随意的なものであり、それだけにより多くの非難に値する。放埒と子供の「わがまま」との比較
第 四 巻
第 一 章 寛厚
第 二 章 豪華
第 三 章 矜持
第 四 章 (名誉心の過剰・名誉心の欠如に対する)それの中庸
第 五 章 穏和
第 六 章 「親愛」
第 七 章 真実
第 八 章 機知
第 九 章 羞恥
第 五 巻
第 一 章 広狭二義における「正義」
第 二 章 狭義における正義が問われている。この意味の正義は配分的正義と矯正的正義に分たれる
第 三 章 配分的正義(幾何学的比例に基づく)
第 四 章 矯正的正義(算術的比例に基づく)
第 五 章 「応報的」ということ。交易における正義
第 六 章 正義・市民社会・法律
第 七 章 市民的正義における自然法的と人為法的
第 八 章 厳密な意味における「不正を働く」ということ
第 九 章 ひとはみずからすすんで不正を働かれるか。配分における不正の非は何びとにあるか
第 十 章 正義に対する「宜」の補訂的な働き
第十一章 ひとは自己に対して不正を働きうるか
第 六 巻
第 一 章 その論究の必要。魂の「ことわりを有する部分」の区分(認識的部分と勘考的部分)
第 二 章 前者の目的は純粋な真理認識にあり、後者の目的は実践的な真理認識にある
第 三 章 学
第 四 章 技術
第 五 章 知慮
第 六 章 直知(ヌース)
第 七 章 智慧(知慮との比較)
第 八 章 (知慮と政治。知慮は個別にもかかわる)
第 九 章 「思量の巧者」
第 十 章 「ものわかり」「わかりのよさ」
第十一章 情理(「ものわかり」や「直知」との共通性)
第十二章 問題とその答え
第十三章 つづき
訳 注
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