内容説明
茶々から片桐且元(かつもと)に宛てた書状群から浮かぶ関ヶ原後の羽柴家の立場、新たな「天下人」家康との関係。大坂の陣に至る羽柴家内部の抗争について、滅亡までの15年の実態に迫る。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ドワンゴの提供する「読書メーター」によるものです。
鉄之助
181
あとがきの、「歴史は人間が作るのだ」、単なる史実でなく人間にスポットを当てて「羽柴家崩壊」が迫ってくるかと、期待して読んだ。しかし、豊臣政権を支えた重要人物かもしれないが、片桐且元はいかにも地味。読んでいても、細かさばかりが気になって、入り込めなかった。2025/08/04
kokada_jnet
76
「豊臣家」という表現はなく、全般的に「羽柴家」と書かれている。1614年、家康と交渉していた羽柴家家老の片桐且元と、茶々・秀頼との書簡をもとにして。彼ら3名の関係を描く。織田家の親類縁者が、こうもたくさん、大阪城内にいたとは知らなかった。2022/10/15
サケ太
29
何故羽柴家は滅んだのか。徳川家康の行動。離れた家老、家臣。羽柴家を支える片桐且元。それに頼っていた茶々や秀頼。崩壊の中で、人物が見えてくるのが面白かった。家臣たちを纏めきれなかった秀頼らは、大坂の陣でも露呈するが、経験の足りなさ故に当主としての実力を発揮できていなかったのか。無論、且元側にも問題はあった。後世の人間からの視点から見ると、回避出来たのではないかと考えてしまうが、『歴史とはその場その場の対応の集合であり、その時に大事にしていたことへの反応の集合と言っていいものであった』という言葉が刺さる。2020/01/19
ようはん
21
関ヶ原の戦い後、幼い秀頼に代わり実質的に羽柴(豊臣)家のトップとなった茶々であるが五奉行らの多くの人材を失い自身も政治経験の無い身で戦後の変化に対応しなければならず鬱とも言える状態にまで追い込まれていたのには同情したくなる。その中で唯一残った家老として家中の財政や外交に尽力していたのが片桐且元であり、茶々も強い信頼を寄せていた。しかし羽柴家臣による内部抗争や羽柴家の方向性のすれ違いにより決裂する結末になるのは茶々や秀頼の統制力の弱さがあったとはいえやるせない。2023/07/04
Ezo Takachin
16
方広寺鐘銘問題に端を発し、大坂の陣に至るまでの羽柴家内における茶々と片桐且元の書簡をもとに動きを追ったもの。且元は関ヶ原以降では筆頭家臣であったが、それ以外に政治をまともにできる人材がいなかった。織田有楽にしろ大野治長にしろ、羽柴家を代表する茶々、秀頼には政治経験が無いに等しい。家康が老獪に滅亡へ追い込んだという見方が多いが、実際は時代が変わっても秀吉時代のプライドからか、徳川幕府への対応を見誤ったと言うしかない。且元と治長の権力争いの結果が悪い方向へ行ってしまったとも言える。2023/05/05
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