内容説明
シベリア経由でヨーロッパから日本に戻った矢代耕一郎は、パリで1度は断念した心寄せる宇佐美千鶴子と再会をする。日本の伝統を求めて歴史を溯り“古神道”に行き至った矢代は、カソリックの千鶴子との間の文化的断層に惑う。それぞれが歩む、真摯に己れの根っこを探す思索の旅。晩年の横光利一の「門を閉じ客の面会を謝絶して心血をそそいだ」(中山義秀『台上の月』)最後の長篇思想小説。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ドワンゴの提供する「読書メーター」によるものです。
うぃっくす
6
下巻の方がよかったな。やっぱ上巻長すぎたよね。日本に戻っても結婚になかなか踏み切れない矢代と千鶴子。にしてもお互いはっきりと結婚してくれませんか?みたいなのないのに結婚することになってるのが昔の日本よ。戦前の緊迫した情勢なはずなのにみんな優雅に暮らしてて上流階級はこんな感じだったのかと参考になった。矢代父が亡くなったあと矢代母が「これから長生きをして、お父さんに見たものみんなしらせるんですよ、」って言ってたのが一番よかった2023/10/04
井蛙
6
いったん自己の外へと出て、そこから自己を眺めた者は、二度とかつての素朴で自足したアイデンティティへと回帰することはできない。より正確にいえば、彼が対自として自己を意識し始めた瞬間から、彼にとってアイデンティティというものが俄然問題になるのだ。むろん自己という存在はそれ自身では空っぽだから、一度自己の外へと立ったもの、その空虚の中に何かポジティブな実体を詰め込まずにはいられない。矢代が帰国後、古神道などという日本の伝統の中でも最も古色蒼然とした伝統を掘り起こそうとするのは自然なことである。そしてむろん彼に→2021/01/09
讃壽鐵朗
4
文庫本で627頁を82日かけて読了。前半、パリを中心とした西洋文明批判はさることながら、パリにいて日本人だけが常時集まって贅沢な生活をしている様が何とも不快。帰国後は、古神道とカトリックの間での懊悩を題材としているが、単に上流階級の知的生活を描いているとしか感じられない。ただ、戦前の日本語が美しく感じられた。2016/02/25
mstr_kk
4
どこか『魔の山』を思わせもする教養小説ですが、後半は日本が舞台になり、前半とはだいぶ趣きが変わります。話の大筋としては、矢代と千鶴子の結婚が多くのページを費やしてだんだん決まってゆくのですが、その過程で矢代の頭が何だかおかしくなる部分があり、全体の中で奇妙に浮いています。千鶴子の像が分裂したり、突拍子もないことを口走ったり、かなり狂っていて面白いです。また、父が死んだり父方の故郷を訪ねたりする場面を中心に、しみじみとした味わいが広がる箇所も多々あります。まとまりには欠けますが、意外に良かったです。2014/10/25
ダージリン
1
久慈が帰ってきてこれから何か起きそうな波乱の予感を感じさせたまま終了。この作品が書き続けられていたらどの様な展開を見せたのかは気になるところである。それにしても作者の真剣な思いが良く伝わってくる作品である。グローバル化した現代では、西洋と日本についてここまで思索を巡らすことはないだろうから、そういう意味では時代性を帯びた作品とも言える気がする。当時は矢代のような人物は共感を呼んだのだろうか。2016/08/06
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