内容説明
青年作家マルテをパリの町の厳しい孤独と貧しさのどん底におき、生と死の不安に苦しむその精神体験を綴る詩人リルケの魂の告白。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
syaori
70
マルテが記すのは「何もかもすっかり変ってしまう」時代への困惑と憂慮、死への恐怖、神や愛、街で見た悲惨について。それらを深く内省し彼は言う「結局、自分のほかにその人はいないのだ」、だから自分で語らなければと。この孤独で拠り所のない不安な魂の軌跡が一筋の光に照らされているように感じるのは、その人生が「喜びも悲しみも」ただ純粋な成分として「歓喜を枝いっぱいにみなぎら」すものに変る成就の時を予感させるからなのだと思います。そしてそれが痛ましいのは、その歓喜とは生きることの絶えざる苦しみの謂だからなのだと思います。2020/04/28
aika
52
雑多な大都会パリの一室で、名も無き物書きマルテがひっそりと、あてもなく彷徨い続ける孤独の行く先。その終わりの見えない入りくんだ路地に迷い込み、夢とうつつの狭間で気がついたらまどろんでいました。幼少の頃の思い出、亡き母親への追憶、道行く人の貧しい姿、関連のないように思えるものが手記という形をとって、マルテの心の奥の暗闇を掘り続けていきます。盲目の老いた新聞売りに思いを馳せた言葉に感じる他者への慈愛。暗闇の底にありながらも常に自身の中の他者と対話し、慈しむ優しさに湛えられた光に、どこか安らぎすら感じました。2019/11/09
やいっち
37
詩人の孤独な魂を感じたとはいえる。 神と対話し、自己と対話し、パリという大都会での、何物でもない自分の漂泊の魂。 都会の孤独。群衆と雑踏の中だからこその孤独。 孤独の中でこそ、人は徹底して自らを、世界を問うことができる。生半可な答えなど要らない。 というより、孤独の境涯にあって、その人がどこまで徹底して問い得たかが、その後のその人の人生を決めるといってもいいだろう。2017/08/12
にゃおんある
33
人は生きるために生活しているのではなく、死に方を探している。死生観というのか、死を捨象し忌避している生き方は本当ではない。本質を否定してしまっては、上滑りするだけで、死に捕らわれているからこそ、色彩あふれる生き方ができるのだ。一つひとつの生き方は複雑だけど、単純すぎるほど等しなみな結末があるだけ、たわいない生活の果てに…… 自分のジャーナルをつける意味が、その手記のなかにあるのだろう。本当の意味を探すのなら、なんでもない一日にそれが備わってるの考えるのが自然。泳げない人が水の中で足掻くように、→2019/07/26
二戸・カルピンチョ
31
いつもレビューには本文からの引用はしないのだが、ひとつだけ。「やがて彼は、この時すでに人を愛してはならぬと強く心を固めていたことに思い当たるに違いない。それは『愛される』という恐ろしい地獄へ誰をも突き落とさぬ配慮だったのだ。」それでも「放蕩息子」は愛したのだ。さて、これはリルケが6年掛けて書き上げたものとのこと。それなら、私も6年掛けて読まなきゃならんだろ。どこから読んだって何の支障もないのだから。好きな時に、好きなページを。2017/09/30