内容説明
「あなたは胃ろうを受けいれますか?」。そう問われた際、ボケて認知能力が低下した高齢者でも、健常者と同じく八割が「NO」と答える。いったい、なぜなのか――臨床観察と近代哲学の両面から、人間の判断の構造をひもとくうちに見えてくる、理性と情動の関係、意識と無意識の働き、三八億年の生命史をさかのぼる「好き・嫌い」の直感的意思表示の意味……。認知症五〇〇万人時代を迎える現代人必読の論考。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
紫羊
27
認知症高齢者と胃ろうの話から生命史の謎や哲学まで、命に対するあたたかな眼差しを持った言葉で語られています。神との関係において人間を他の生物とは別格のものとしたキリスト教の負ともいえるの部分に触れられていて、何だか頭をガツンと殴られたような気がしました。2016/05/09
魚京童!
15
理性はない。ただ「胃ろう」は勘弁してもらいたい。それではただの植物だ。私は動物として生きたいし、死にたい。2019/01/27
bapaksejahtera
14
終末期医療等専門家のエッセイ。認知症を発症した老人も健康な老人も等しく胃瘻を拒む事実。胃瘻は本来正常な嚥下を取り戻す前に、リハビリの体力確保目的に施される由だが、我が国の終末期医療においては、病院の都合に加え、残された家族の延命希望で行われる。この前振りで、カント等が神から人間に与えられ動物と区別する唯一の物とした理性が、実は情動により生じ、強化される物であり、動物一般に観察されると述べる。自己意識の本体は情動によって形成される為、上記の如きボケ老人の判断も成立する。脳科学を出発点に様々な知識に渡る良書。2024/09/13
calaf
9
周りの人々に余計な(心理的)負担をかけないためにも、常日頃から、いろいろな事をどうして欲しいかという事を表明しておくべきかもしれません。それはともかく、いくら重度の認知症の患者であっても、医療行為を行うかどうかは本人に聞くべし。好き嫌いの感情は、いわゆる理性が失われても生きている限り持ち続ける(事が多いというかほとんどそう)ものだから。2015/07/21
ぼっせぃー
7
認知症患者の意志決定について、筆者と同じようなことを臨床の場でも、自分の祖父についてでも感じた。人間の“理性”的(≒理知的?合理的?論理的?整合性のある?)部分は、年齢や肉体や識意識下の要素や置かれた状況に左右される中、グラデーションを保って形成されており、本来不定なものにキリスト教下の先験的“理性”をあてがった所にデカルトやカントの失敗があったとするのが大まかな論旨か。以降に続く「情動」優位論は内容が取っ散らかるが、揺らぐ“理性”的部分が肉体を介しある程度正確に表出されるのではという意見は十分に肯ける。2020/11/10