内容説明
「老耄が人の自然なら、長年の死者が日々に生者となってもどるのも、老耄の自然ではないか。」――主人公の「私」が、未明の池の端での老人との出会いの記憶に、病、戦争、夢、近親者の死への想いを絡ませ、生死の境が緩む夜明けの幻想を語った表題作をはじめ、「祈りのように」「島の日」「不軽」「山の日」など「老い」を自覚した人間の脆さや哀しみと、深まる生への執着を「日常」の中に見据えた連作短篇集。
目次
祈りのように
クレーンクレーン
島の日
火男
不軽
山の日
草原
百鬼
ホトトギス
通夜坂
夜明けの家
死者のように
著者から読者へ
年譜
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
mstr_kk
3
めちゃくちゃ繊細な感覚によって、生活の中から、不穏で不気味なものを引き出してくる文体。うっすらと怪談めいたところがあります。古井由吉は何冊か読んだけど、正直、まだそんなに好きじゃありません。読みにくいし。でも、この密度とそれを実現する技術は凄まじいと思います。2024/08/05
tomomi_a
3
読んだあと、ふとしたときに足下がゆらっとなって何度も思い出す。なにを読んだ?ってきかれたら、「不軽」って応えてしまいそうなくらい、これ、もんのすごかった。語り手と作者とわたしと彼とその知人と、どんなに気をつけているつもりでいてもいろんな境界が溶け合ってしまう、同じ世界にいたからこの人たちとわたしの肌が湿度にとけてしまった、みたいな、や、わかんないけど、もう誰の経験か誰の時間か記憶か、わからない。わたしのではない気がするけどどれかはわたしのかもしれない、といまも思うくらいひたひたに浸かった読書。2015/05/06
ほし
2
昨今の流行りにない毒にもなる本だな。退廃な気持ちになるし、後ろ向きだし。 だからこの人の本には惹かれるんだよね。2019/08/16
山がち
2
一編を読むだけで、とてつもない集中力が要求され、最後の方になるともはや気が狂うような心地がした。「島の日」は、細部にわたって記憶をしたわけではなく、他の短編に集中を削られたせいでほとんど霞がかかっているようなものであるが、その島の描写には動きがたいものがある。杳子の冒頭の描写のような圧倒的な思いつり合いはないにせよ、その静かさの中に苦しいつり合いがある。その場の<現在>の堆積ではなく、むしろ複線的な時代の堆積が重みとなって現存しているように感じられるのである。情景描写というものと、この文章はどう違うのか。2013/10/19
龍國竣/リュウゴク
1
読者は虚実のあわいで、しばしまどろむ。それを可能たらしめているのには、文体の影響も大きい。あれよというまに読者は揺さぶられ、それまでの定位置から退かざるをえないのだ。また、筆者の始めと終りの文の巧みさもまた、短篇の連作という形式に相応しく、活きてくる。2014/08/01