岩波文庫<br> 漱石書簡集

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岩波文庫
漱石書簡集

  • 著者名:三好行雄
  • 価格 ¥836(本体¥760)
  • 岩波書店(2015/04発売)
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  • ISBN:9784003190036

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内容説明

漱石の手紙を読むとこの類まれな人物のあらゆる心の動きがその温もりとともに伝わって来るように感ずる.全集版におさめられた二二五六通の手紙から友人の正岡子規,妻の鏡子,弟子の寺田寅彦・小宮豊隆などに宛てた一五八通を選んで注解を付した.漱石を知るための基本資料であるばかりか,それ自身が見事な作品である.

目次

目  次

 明治二十二(一八八九)年
   御養生は専一に(正岡子規あて)/『七草集』のこと(正岡子規あて)/点数一条のこと(正岡子規あて)/大兄の文はなよなよとして(正岡子規あて)
 明治二十三(一八九〇)年
   この頃は浮世がいやになり(正岡子規あて)
 明治二十四(一八九一)年
   竹なわの女(正岡子規あて)/嫂登世の死(正岡子規あて)/気節論(正岡子規あて)
 明治二十五(一八九二)年
   排斥運動に驚く(正岡子規あて)
 明治二十七(一八九四)年
   医師から肺病と聞いて(菊池仙湖あて)/夏の旅について(正岡子規あて)
 明治二十八(一八九五)年
   一死狂名を博するもまた一興(狩野亨吉あて)/愛媛県には少々愛想が尽き(正岡子規あて)/家族との折合いが悪い(正岡子規あて)
 明治二十九(一八九六)年
   虚子のこと(正岡子規あて)
 明治三十(一八九七)年
   教師をやめたい(正岡子規あて)
 明治三十二(一八八九)年
   『ホトトギス』について(高浜虚子あて)
 明治三十三(一九〇〇)年
   留学の船中から(夏目鏡子あて)/西洋食にはあきあきした(夏目鏡子あて)/パリにて (夏目鏡子あて)/金のないのと病気が困る(夏目鏡子あて)
 明治三十四(一九〇一)年
   ロンドンの生活(夏目鏡子あて)/学資軽少にして修学に便ならず(藤代禎輔あて)/ロンドンに着いてから (狩野亨吉・大塚保治・菅虎雄・山川信次郎あて)/ロンドンの歌舞伎座(夏目鏡子あて)/英文学者になるのはつまらない(藤代禎輔あて)/学問はコスモポリタンなものに限る(寺田寅彦あて)/女が強情では困る(夏目鏡子あて)/最後の書簡(正岡子規あて)
 明治三十五(一九〇二)年
   「それやこれや」とは何の言訳(夏目鏡子あて)/人のため世のために働く(夏目鏡子あて)/大著述の構想(中根重一あて)/世間の奴には言わせておけ(夏目鏡子あて)/世は様々に候(夏目鏡子あて)/朝は少々早く起きるように(夏目鏡子あて)/子規追悼(高浜虚子あて)
 明治三十六(一九〇三)年
   博士にも教授にもなりたくない(菅虎雄あて)
 明治三十七(一九〇四)年
   水底の感(寺田寅彦あて)/大塚夫人の新体詩(野村伝四あて)
 明治三十八(一九〇五)年
   『吾輩は猫である』について(野間真綱あて)/『倫敦塔』について(皆川正禧あて)/猫の鼻息が荒くなった(皆川正禧あて)/勉強はしたいが(中川芳太郎あて)/鈴木三重吉の長文の手紙(中川芳太郎あて)/島へでも住んで見たい(鈴木三重吉あて)/高等学校は楽なもの(奥太一郎あて)/眼識ある人の賞賛は有難い(内田魯庵あて)/博士になるために生れはしない(鈴木三重吉あて)/学生もない手位出してよい(野村伝四あて)/『猫』と『薤露行』(高浜虚子あて)
 明治三十九(一九〇六)年
   月も花も刻下の風流(鈴木三重吉あて)/勉強と見識、弱点の告白(森田草平あて)/いやになるまで書いて死ぬ(森田草平あて)/死ぬまで進歩するつもり(森田草平あて)/英語学試験嘱托辞任の事(姉崎正治あて)/澆季の風習(姉崎正治あて)/『ホトトギス』について(高浜虚子あて)/『破戒』は名篇也(森田草平あて)/たった一人で感じている事(鈴木三重吉あて)/神経衰弱で死んだら名誉(鈴木三重吉あて)/自分は自分流にする(高浜虚子あて)/天下は恐るべきものに非ず(中川芳太郎あて)/『猫』はただ一面の真理 (畔柳芥舟あて)/非人情について(森田草平あて)/功業は百歳の後に価値が定まる(森田草平あて)/世の中は一大修羅場(狩野亨吉あて)/一人で行く所まで行く(狩野亨吉あて)/僕の教訓なんて飛んでもない(鈴木三重吉あて)/『草枕』のような主人公ではいけない(鈴木三重吉あて)/『読売新聞』文芸欄担当を辞退(滝田樗陰あて)/父親になるのはつまらない(小宮豊隆あて)
 明治四十(一九〇七)年
   朝日入社の条件(坂元雪鳥あて)/大学を去る覚悟(野上豊一郎あて)/妻君は人間でないような(鈴木三重吉あて)/藤尾は嫌な女だ(小宮豊隆あて)/細君は始めが大事(野間真綱あて)/世の中は常識のない奴ばかり(小宮豊隆あて)/敗徳漢を筆誅する(中村蓊あて)/俳句禅問答(松根東洋城あて)
 明治四十一(一九〇八)年
   親類より金を借りに(高浜虚子あて)/猫の墓(加計正文あて)/『復活』の装幀(内田魯庵あて)/文壇紛々空洞の響(鈴木三重吉あて)/文壇に立つ心得(小宮豊隆あて)
 明治四十二(一九〇九)年
   『煤烟』批判(森田草平あて)/怪我見舞い(鈴木三重吉あて)/著書の寄贈について(畔柳芥舟あて)/借してあげる金はない(飯田政良あて)/満韓旅行について(鳥居赫雄あて)/『朝日』文芸欄への誘い(寺田寅彦あて)/批評の掲載について(中島六郎あて)
 明治四十三(一九一〇)年
   原稿改訂の問題について(阿部次郎あて)/ふたたび原稿改訂問題について(安倍能成あて)/楚人冠との確執について(野上豊一郎あて)/『それから』の批評について(武者小路実篤あて)/「文芸欄」への執筆依頼(畔柳芥舟あて)/「新聞紙上の印象主義」について(杉村楚人冠あて)/夏目漱石論について(戸川秋骨あて)/修善寺から(夏目筆子・夏目恒子・夏目栄子あて)/日本の雑誌はいやに候(畔柳芥舟あて)/ありがたい大切な病気(夏目鏡子あて)/余は平凡尋常の人(小宮豊隆あて)/アンチシーシスを与える(小宮豊隆あて)
 明治四十四(一九一一)年
   われらは新しきものの味方(森田草平あて)/小生の若き所(阿部次郎あて)/謡はやめる必要なし(夏目鏡子あて)/医師との問答(夏目鏡子あて)/博士号は辞退したい(福原鐐二郎あて)/小宮豊隆について(坂元雪鳥あて)/人を強いるのはいやだ(森田草平あて)/ふたたび博士号の辞退について(福原鐐二郎あて)/朝日新聞の内紛(弓削田精一あて)/文芸欄を廃止する(小宮豊隆あて)/森田は已めてもらった(野村伝四あて)
 明治四十五(一九一二)年
   野上君の御病気(野上弥生子あて)/画賛について(戸川秋骨あて)/落第は苦にしないがいい(林原耕三あて)
 大正元(一九一二)年
   オベッカを使う新聞(森円月あて)/『門』の批評について(阿部次郎あて)
 大正二(一九一三)年
   中勘助を推す(山本松之助あて)/健筆会その他(橋口貢あて)/目下は自分が大切(中村蓊あて)/貧乏徳利の絵について(津田青楓あて)/『蝙蝠の如く』の感想(有島生馬あて)/道に入ろうと思う(和辻哲郎あて)/君の馬鹿々々しい所(小宮豊隆あて)/私の画は子供のいたずら(門間春雄あて)/生涯に描きたい絵(津田青楓あて)
 大正三(一九一四)年
   大西祝について(大塚保治あて)/メンデリズムと文芸(畔柳芥舟あて)/『心』は小供のためにならない(松尾寛一あて)/文学者として食って行くのは困難(四方田美男あて)/文学博士は困る(木下友三郎あて)/たまには戦争も経験のため(鬼村元成あて)/『銀の匙』について(中勘助あて)/私は会う価値のない男(吉永秀あて)/死について(林原耕三あて)/あなたの正直に同感する(武者小路実篤あて)/私の力ではどうにもできない(吉永秀あて)
 大正四(一九一五)年
   なつかしいとか親しいとかいわれて(藤森秀夫あて)/私は禅坊さんが好き(富沢敬道あて)/うそをつかないようになさい(磯田多佳あて)/黒人と素人(磯田多佳あて)/ゆるす事の修養を(武者小路実篤あて)/『朝日』の連載小説について(徳田秋声あて)
 大正五(一九一六)年
   人間の寿命はわからない(井田芳子あて)/『鼻』の批評(芥川龍之介あて)/書画は恥のかきすて(津田青楓あて)/ピヤノの教授を断る(中島六郎あて)/『明暗』のお延について(大石泰蔵あて)/小説は寐かしておくが好い(和辻哲郎あて)/明暗双々(久米正雄・芥川龍之介あて)/牛になって人間を押せ(芥川龍之介・久米正雄あて)/『新思潮』を読んだ感想(芥川龍之介・久米正雄あて)/書幅の批評(森円月あて)/『アグラフェーナ』について(小宮豊隆あて)/無私について(小宮豊隆あて)/禅について(鬼村元成あて)
   解 説…三好行雄
   注  …三好行雄

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

kaoru

76
漱石の書簡はそれ自体が文学だ、と聞いた。膨大な書簡のなかから選んだ158通。子規、鏡子夫人、寅彦、三重吉、小宮や森田らに宛てられたそれらは漱石自身を語るこの上ない資料だ。留学時代の鬱屈、森田草平への面倒見の良さ、修善寺の大患前後と,漱石の人生が書簡を通じて俯瞰できる。若い芥川に寄せた手紙がとりわけ印象的だし,有島生馬や実篤などの文学者にも率直な思いを曝け出している。鬼村元成や富沢敬道など禅のお坊さんとの晩年の交流も興味深い。もっと長生きしたなら『明暗』を完結されることができただろうと思うととても残念だ。⇒2021/03/26

Y2K☮

50
著者に惹かれる理由が見えた一冊。真面目で率直で気難しい。時に憂鬱、時にユーモラス。云うべきであれば友人にも厳しい意見。地位には頓着しないが自尊心は高い。文学で社会と戦うという壮大な夢を抱く一方、大学を辞めて専業作家になる際の収入面への配慮も抜かりない。基本は厭世家だが親分肌でもあり、目下の者への助言には本心からの気遣いが感じられる。文学博士を拒む頑なさが昇給を断る「坊っちゃん」を彷彿させるなど、随所に作品の登場人物がちらつく。特に芥川&久米への手紙は「こころ」の先生そのもの。漱石は芥川に何を期待したのか?2016/01/02

佳音

47
夏目漱石の書簡集なんて、国文学専攻でもない限り手に取らないかな。が、読みやすいのだ。彼独特のユーモアは現代にもウケるので(私見だが)まさに書簡集はうってつけ。借金を頼む相手にΓない。自分の財布になにがしか入っていたらと思うが空だ。家賃で困っているならほっておけ」など、おいおい漱石先生(笑)って感じ。 頼み事、苦情の書簡もどことなく人柄(てか気い遣い)が滲み出て相手は悪い気がせぬ。彼流処世術も学びがいがある。一転文学となると、自然主義は自然の二文字にあらずとバッサリだ(苦笑) そういう対比がまた味わい深い。2015/02/21

やまはるか

38
 明治22年(1889年)から大正5年(1916年)までの書簡。ロンドン留学時代の妻とのやりとりは「年始状、筆の日記、倫君の日記いずれも披見致候。右は去る2月20日に着致候」年始状が年明け50日後に届いた。届かない手紙もあったようで、漱石の苛立ちが随所に示されている。小学6年生が「心」の先生について訊ねたらしい返事に「先生というひとはもう死んでしまいました。名前はありますがあなたが覚えても役に立たない人です。」「子供がよんでためになるものじゃありませんからおよしなさい」読者などに宛てたものが面白かった。2024/04/29

ころこ

34
脚色されている『太平記』や『太閤記』よりも、書簡の方が歴史的資料としての価値が高い。漱石を歴史的にみると、近代の言葉をつくった資料として、小説よりも書簡の価値が高いとやや強引に主張してみます。正岡子規との書簡では、現在では使用されない一人称「余」が使われています。それだけでなく、同一の書簡中に、「余」「小生」「僕」と異なる呼称の一人称が使われています。これに『吾輩は猫である』の「吾輩」と『坊ちゃん』の「おれ」が加わり、時代を下ると「私」が多く使われはじめます。「私」までの試行錯誤が書簡からは読み取れます。2020/03/17

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