内容説明
マグマのような苛烈な文体によって、唯物論哲学を大胆に書き変えた名著の新訳。精神分析批判から資本主義と国家への根底的な批判へ向かい、そのための「分裂分析」をうち立てた革命的な思考はいまこそ「再発見」されなければならない。欲望機械/器官なき身体とともに、最も危険でカオティックな思考の実験がはじまる。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
ころこ
49
文章がこなれているので何となく読めてしまうが、明確に読める読者はなかなかいないだろう。人間の可能性がエディプス的な価値の閉域に限定されてしまうことを批判している。人間の諸機能を「機械」と表現していて、さしたる定義付けも無く、どうも肯定的なニュアンスを帯びていることに不気味な印象を受ける。ただ、ここに例示されるのはベケットで、読み方のヒントが隠されているような気がする。人間は矛盾や困難を克服し、弁証法的に成長し統合して主体化されることを否定して、分裂したままの人間観を(考察とは言わず)模索している。2023/09/12
koke
14
「ただ欲望と社会的なものだけが存在する」ゆえに、ただひとつ社会を変えられる「欲望はその本質において革命的なのである」と要約できると思う。意外とシンプルで、熱血。しかし「抑制さえも欲望されるとすれば、『真の』欲望とは何なのか」という問いは答えられたのか?長さにもかかわらずマニフェスト的な本という印象。2023/06/07
ゆとにー
12
やっと読み終えたぞ…しかし土曜までに下巻とか無理だろこれ…2018/12/06
しゅん
11
10年前に読んだ時はちんぷんかんぷんだったのだが、今読むと「父を殺して母と寝る」のオイディプス・コンプレックスを手を変え品を変え批判していること自体はめちゃ単純。詳細な理路は追えてないし「超コード化」と「脱コード化」の違いをいまいち掴めてないのだが(解説はいっぱいあるだろうけど)。バタイユの消費概念も「生産」と捉えるところに考える余地が深そう。2021/08/20
hitotoseno
11
我々は通常欲望を悪しきものとして見なす。一歩譲ったとしても、社会から切りはなされた私的領域で飼い慣らすなら欲望は持っていてもかまわない、と言われるのが関の山である。本書の目的は欲望はあくまでも社会と密接につながっていると主張することであり、いかに欲望が社会によって(家族を媒介として)抑圧されているかを描くことである。もちろんその先には欲望の解放が目指されている。しかし、欲望の解放は単純に成り立つものではない。なぜなら社会は解放の道筋にも罠を仕掛けているのだから。それを見破ってこそ、真の解放は成り立つ。2017/01/07