内容説明
いつも「リスク社会」は可能性として語られてきた。ついに到来した「震災・津波・原発」の惨状を見据え、ありうべき克服を提起する強靱な思考。連続講義第一弾。
目次
第1講 「日本語で考えること」を考える(日本語で考える 「…は」の連発―近代日本語における ほか)
第2講 社会主義を超えて、コミューン主義へ(道徳共同体の規準 コモンズと排除 ほか)
第3講 リスク社会の(二種類の)恐怖(チャレンジャーの事故に関する集団的否認 リスク社会とは ほか)
第4講 今のときに革命について語る(資本主義は自らを信じているのか 革命の空間的普遍性 ほか)
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
ころこ
46
第1講は、ラカンの「漢字(音読み)がかな(訓読み)に注釈を与えている」という指摘と、山城むつみ『文学のプログラム』で言及されている問題設定を読んで、極めて重要なことを考察していると直感しました。時枝誠記の統語論から「…は」は暗黙の裡に超越的な主体を西洋にみていて、融通無碍な漢字かな交じり文には、本当のところで外国の思想を拒否する日本語の無意識が表現されていて、それが日本には第三者の審級が成立しない。したがって危機の時に変化が生じないことの深い原因だという議論をしています。なぜ漢字における意味の単位が2字な2022/06/07
Hatann
8
覚醒後に忘却されがちである夢は、睡眠と覚醒の瞬間を捉えて反芻して言葉に置き換えることで保存でき、真実を告知することができる。思いがけない出来事などを社会の夢とみなし、現在についての真実を救いとることを試みる。思想を語る言語としての日本語を検証して第三者の審級の概念をおさらいし、現代社会を基底する資本主義を超えたコミューン主義が存在しうること、空間的かつ時間的にも普遍的であるべき革命によって実現しうることを示す。リスク社会のリスクに対応するためには、合理的計算だけでは足りず、広い意味での信仰を必要とする。2021/10/31
ぷほは
3
生権力に関しての新書と同じように、大澤真幸じしんに対するセラピー的な仕事であり、夢を見ることと夢を語ることを意図的に混同させたまま治療者兼被験者となることを編集者が著者に求めた本。「第三者の審級」という概念に第三者はいないのである。出た当初は「気障なタイトルだな」くらいの感じでスルーしていたが、その後の3.11など日本で起こったことを考えると大澤自身の破局が予告めいて見えしまったのも彼にとっては無理もなかろう。書店イベントにて出版社の営業の方と話す機会があり「こんな綺麗な装丁だったのだな」と思い購入した。2018/03/01
e.s.
3
柄谷の日本精神分析、世界史の構造で十分。内容にしても、日本語の主題の副助詞「は」の問題から次章に移ると、いきなりカトリックと贈与の話になり、話の主題が途切れた印象。流れとしては、日本の再分配率の低さと自己責任論を主題にした方が良かったのではないか。普遍を目指して日本的特殊性が捨て置かれたため、抽象論で終わった感があり。2015/07/12
kappa256
2
レベルが違いすぎて理解できないことの方が多かったけれど、最後まで手を引かれて連れて行ってもらった感覚。それは少しうれしい。 「は」の話、贈与の話、リスク論など、部分的で申し訳ないけれど、腹落ちすることがあったのもうれしい。また、機会を見ては開くことになるだろう。2012/06/08