内容説明
「六国史」の第四、平安初期王朝社会における国風文化や摂関政治の発達を解明するための最重要史料の、初の現代語訳。先行研究をふまえて再検討した原文本文も付す。編纂の最高責任者であった藤原良房は、藤原北家の擅権体制確立にどんな役割を演じたか――。本巻は「承和の変」の起きた承和9(842)年から仁明天皇崩御(850年)までを描く。(講談社学術文庫)
感想・レビュー
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perLod(ピリオド)🇷🇺🇨🇳🇮🇷🇵🇸🇾🇪🇱🇧🇨🇺
8
再々読。初読は2011年、再読は2018年。今更ながら読みは「しょくにほんこうき」。 嵯峨太政天皇崩御。淳和太政天皇以上に遺言が詳細。物の怪を信じていない聡明さはあるが、結局遺言は守られなかった。国忌を置かなくていいともあるのに置かれてしまった。 その翌日に承和の変。橘逸勢(はやなり)がこの後配流先で死んで御霊(ごりょう)となる。なおその後、息子と孫は許されて帰京したようだ。この当たりの経緯は『文徳実録』 にあり息子ではなく娘が孝子だという内容。鴨川の川原に髑髏が五千余りもあったガクブル →2023/06/01
feodor
1
下巻では、さっそく嵯峨上皇崩御とその直後に起こる承和の変があり、おさまったかと思うと善ガイ訴訟事件という訴訟法に対する違反というか、法慣習と法文の差異を用いて伴善男が上官たちを失脚させた事件もあり、こまごまとしたこともあって興味ある中で読み終える。末尾には、仁明天皇がこの時期としては久々に在位中に崩御するという出来事が起こり、これまた興味深い。2011/02/28
aochama
0
日本書紀からようやく読み通せました。学校での日本史より当時生きた有名無名のみなさまの息づかいが聞こえてくる感じようで面白かったです。人事の記事をみると千年前も宮仕えは大変と思いましたねσ(^_^;文庫本で読める現代語訳の六国史、続編をどなたか刊行していただけないかなぁ(笑)2016/10/23
アル
0
仁明天皇の世の記録の後半。 嵯峨院崩御に続けて起こった承和の変、上巻まえがきでは「良房が企望した」と推測されていたが、前後の状況から、むしろ太皇太后と仁明天皇の主導で、良房は利をもってひきこまれたようにも思える。 何度も辞表を出しては却下されていた藤原緒嗣、1月にようやく辞任を認められた年の7月に亡くなっていてちょっと可哀想。嘉祥三年三月の記事は、桓武天皇陵へ使者を送ることになった「物怪」の具体例らしきものが記載されているのも興味深い。 仁明帝は齢四十を盛大に祝われた翌年に崩御。無常感強し。2024/08/23