内容説明
破戒しても司祭の聖職性は在るのか?──カトリック教会が追放された革命時のメキシコを舞台に、様々な波乱を巻き起こしながら明日なき逃亡をかさねる呑んだくれ司祭の運命を描く、著者の代表作!
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
まふ
98
グリーンのマジメ分野作品の代表作。共産主義革命によりカトリック教会は偽善・困窮・迷信の廉で全面禁止、破壊・追放が行われ、司祭たちはことごとく殺され、生き残った二人のうち一人は「転び」還俗して妻帯する。もう一人の司祭(主人公)は愛人との間に娘を作ってしまうアルコール中毒のナマグサ坊主である。追いかける警部は血も涙もない男で教会全滅に執念を燃やす…。世界の吹き溜まりのようなメキシコのタバスコという田舎町での出来事だが、思い起こすのはカトリックの堕落と放縦の状況である。G1000。2023/11/11
ベイス
58
キリスト強的倫理観の支配する社会にとっては不良とされる過度の飲酒や女性関係が、共産主義的倫理観の支配する社会では主人公はそうとは気づいていないが精神的な拠り所となる。どっちにしろ極端すぎる「潔癖社会」への反抗?2023/01/04
nobi
39
宗教迫害下、逃避行を続ける司祭。飲酒と私生児という破戒。人質が連れ去られることへの言い訳じみた抵抗。時に人々のいたわりがあり子供のくっきりとした存在はあっても、太陽が照りつけるか容赦ない雨を降らせるメキシコ南部の地で、彼に与えられるのは渇きか泥水でしかない。およそ殉教とは程遠く、そのモノローグはみじめこの上ない。それでも繰り返される自問自答は次第にうねりとなっていった。あるきっかけで驢馬の向きが変えられた。未練を解いた瞬間。決断したというより身を委ねたように見える。非連続の位相。その潔さに心揺さぶられた。2016/09/03
Ryuko
37
メキシコ版「沈黙」と思いながら読むが、こちらは1940年の作品。遠藤周作がこの作品に影響をうけたことは想像に難くない。裏切者のユダである混血児はキチジローを思わせるし、捨て鉢になっているホセ神父はフェレイラを思わせる。ただ、こちらのパードレは、酒好きで、姦淫も犯す不良司祭だ。決して聖人ではない主人公を描きながらも、少年が信仰を深くするシーンで物語を結んでいるところにグリーンのキリスト教への思いが込められているように思う。「ブライトン・ロック」と「沈黙」を再読したい。2019/03/16
田中
33
メキシコ国内の宗教弾圧により逃亡するしかない司祭は辺鄙な荒地や貧村を移動する。「神の力と栄光」とは何かを一人の酒好き司祭をとおして神話的にあらわしたようだ。自分は、「司祭」に値しない大罪人であると自問しながらも、困窮する人々に箴言する姿は、聖徒のようでもある。極めて世俗的な行為と根源的な信仰の狭間で神をいつも意識している。警部との対話では、信仰と正義は立場によって離反するように考えられた。僕は、キリスト教の典本知識がないので、充分には理解できないが、聖句のような名言は、とても印象に残る。 2022/08/10