内容説明
「生き生きした現在」とは、フッサールの現象学の最終的な到達点である。それは、流れつつ立ちとどまる、時間の根源的なあり方である。本書は、フッサールの分析を跡づけながら、この原初的な出来事のうちに含まれる問題性を明らかにする。このことを通じて本書は、事象に即しつつ、フッサールを乗り越えてゆく。読者に時間という事象の問題性をともに考察することをうながし、同時に、現象学的思惟の新たな可能性を拓こうとする優れた研究である。
目次
第1部 世界経験の静態的および発生的な原様態としての現在化(研究の最初の問題圏への拡大;知覚現在のさしあたって呈示可能な諸構造;知覚世界の原構成としての現在化;未来予持;ノエマ的時間化とノエシス的時間化との区別;遍時間性の構成)
第2部 自我の生動性の原態様としての生き生きした現在(研究の第二の問題圏への導入;徹底した還元;自己現在化と自己構成;生き生きした現在の謎;遍時間的な〈とどまる今〉としての立ちとどまる機能現在;生き生きした現在の謎を〈立ちとどまること〉と〈流れること〉の統一という謎へと導き帰すこと)
第3部 匿名的な〈とどまる今〉への遡行の試み(問題設定;「絶対的事実」としての機能現在;共現在と自己現在との類比;「私は作動する」における自己共同化;自己共同化と目的論)
文献目録
フッセリアーナ対照表
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