ラジカリズムの新世紀―実践論へのいざない

ラジカリズムの新世紀―実践論へのいざない

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  • サイズ 46判/ページ数 221p/高さ 19cm
  • 商品コード 9784916043214
  • NDC分類 104
  • Cコード C0030

出版社内容情報

第1部 現代思想の読み方
1.ニーチェの道徳論
2.フーコーの権力論
3.ソシュールの言語論
4.竹田青嗣の現象学
5.ヘーゲルの弁証法
6.マルクスの自由論
第2部 「科学の世紀」の終わりに
1.パソコン文化を考える
2.科学者の社会的責任
3.「地獄におちる」と言われたら
第3部 かつてここで大虐殺があった カンボジア訪問記

 今世紀初頭、一匹の「猫君」がこうつぶやいています。
 「我輩は20世紀の猫だからこれぐらいの教育はある。あんまり軽蔑してはいけない」
 これは夏目漱石の『我輩は猫である』の一節です。時は1905年、20世紀が「新世紀」であった時代でした。漱石は、近代日本の「開花」は「外発的」であり、「一言にして言えば現代日本の開化は皮相上滑りの開化である」と考えていました(講演『現代日本の開化』)。日露戦争での大国ロシアへの勝利に酔いしれ、さらなる「上滑りの」近代化を推し進めようとする当時の日本社会の姿の一端を、漱石は「20世紀の猫君」の眼でシニカルかつユーモラスに見せたのでした。
 しかし、その後の20世紀の現実は、「教育ある猫君」に軽蔑されてあまりあるものとなってしまいました。
 人類は21世紀という『新世紀』をまえに、大量生産・大量消費という西洋物質文明が生み出した地球環境破壊によって、類としての生存すら危うい未曾有の危機に追い込まれています。
 これにはさすがに「20世紀の猫君」もビックリというところでしょうが、やはりわたしたちは、漱石流にいえば西洋流の「文明開化」のパラダイム、つまり欧米物質文明そのものの

内容説明

ポスト・マルクス主義時代の反体制派が「現代思想」を批判する。

目次

第1部 現代思想の読み方(ニーチェの道徳論;フーコーの権力論;ソシュールの言語論 ほか)
第2部 「科学の世紀」の終わりに(パソコン文化を考える;科学者の社会的責任;「地獄におちる」と言われたら)
第3部 「かつてここで大虐殺があった」―カンボジア訪問記

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