内容説明
社会的に認められた職業や地位にある人々が作り出す世界と、就職はおろか外出すらままならない友人たちが閉じ込められている世界。その二つの世界の狭間に立ち、行き来しつつ考え、弁論し、表現しつづける作家キム・ウォニョン。著作の原点となる、自伝的エッセイ。
目次
1 ガラスのような身体、棘のような心
2 全身全霊で世界の中へ
3 新しい身体の記憶づくり
4 二つの世界のはざまで
5 わたしは「セクシーな」障害者でありたい
6 水槽の中の脳、主人公になる
著者等紹介
キムウォニョン[キムウォニョン]
金源永。1982年生まれ。骨形成不全症のため14歳まで病院と家だけで過ごす。小卒認定試験に合格し、障害者向け特別支援学校の中等部、一般の高校を経て、ソウル大学社会科学部社会学科を卒業。同大学ロースクール卒業後、国家人権委員会で働く。現在は作家、パフォーマー、弁護士として活動している。車椅子ユーザー
牧野美加[マキノミカ]
1968年、大阪生まれ。釜慶大学言語教育院で韓国語を学んだあと、新聞記事や広報誌の翻訳に携わる。第1回「日本語で読みたい韓国の本翻訳コンクール」最優秀賞受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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あおでん@やさどく管理人
17
本文中では自身は乙武洋匡さんのような「スーパー障害者」ではないと述べている(大多数の人はそうだろう)。プライドから周りの障害者とは違うと思っていた、というような赤裸々なエピソードも含め、「スーパー障害者」でない人がこうした道を切り開いたことに意義があるのだろうと感じた。障害者はみな清廉潔白でないといけないのか。希望を超えた「欲望」があるからこそ、社会は変えていけるのだ。2024/01/10
チェアー
7
障害者であることを当然とし、障害者を障害たらしめているものが社会であると叫ぶ一人と、障害から目を背け、かっこよく、スマートに、セクシーに、「普通」に行きたいと叫ぶ一人と。それを統合していいのかと戸惑う心。そして、こんな戸惑う存在に自分がなってしまったことへの怒り。 自分が自分であるとはどういうことなのかを考えさせられる。私にとっては考えれば済むことなのかもしれない。彼にとっては生きるために必要なことなのに。この非対称性はなんだろう。 2023/02/18
しゅんぺい(笑)
2
障害を持った方がかっこつけず、利己的やったり、恥ずかしかったりもしそうな経験、感慨について語ってる。こういう感情、ときどきあるよなあと思ったから、いつかまた読みたい本。2023/03/10
yunyon
2
韓国の障害者事情はよくわからなかったのですが、この本を読んで、少しは理解できた気がする。乙武洋匡氏のような超ポジティブ思考のスーパー障害者にならなくても、自分で少しずつ世界を広げていった著者はすごいし、やるとなったら柔軟に素早く形を変えていく韓国社会もすごいと思う。2023/03/08
ハッカうどん
1
時として「障碍者」は「障碍者」らしくあることを求められ、自ら社会に参画していけない状況におかれてしまう。法律上市民であっても、市民としての権利は活用できず、社会の隅でつつましく生きていくことを強いられる。そのようなとき、我々はどうすべきなのか。著者は言う。怒りによって行動せねばならない。「憎しみ」ではなく「怒り」。綺麗に飾られ、喧伝される「希望」ではなく「欲望」でもって行動しよう、と。このメッセージは普遍的だ。社会的障害は、それに触れやすい人々の前だけにあるのではない。誰の前にも横たわっている。2024/01/04