内容説明
ビデオゲームは、半分現実、半分虚構。ゲームとは?ゲームの楽しさとは?伝統的なゲームとビデオゲームはどうちがう?ビデオゲームのプレイは現実?それともフィクション?新旧のゲーム研究に加え、文学理論、映画学、認知科学、心理学、計算機科学、システム理論、ゲーム理論といった多彩な分野からの研究成果を援用しながら、こうした問いを丁寧かつ明快に解きほぐす。ゲーム研究の記念碑的名著、待望の邦訳。
目次
1 序論
2 ビデオゲームと古典的ゲームモデル
3 ルール
4 フィクション
5 ルールとフィクション
6 結び
1 ~ 1件/全1件
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
nbhd
25
祝2017年ベスト本(暫定)。学術的ゲーム研究においては、この先の古典になるのは間違いないかと思われる。ザ・ゲーム包括本。とくにスゴイと思ったのは、先行研究まとめの手際のよさ。書きだすとキリがないけど例えば、ゲームの定義を「古典的ゲームモデル」と名付けるあたりが、その手際の一例かなと思う。「古典的」と名付けることで新たなゲーム性の余地を確保。しかもあくまで「モデル」なので、境界領域にあるゲームのケアも捨て置かない。たぶんゲーム本あと20冊くらい読むけど、しめくくりにもう一度この本を読もうと思う。2017/03/19
サイバーパンツ
18
ゲームとは客観的で強制的で明確な「現実のルール」と主観的で任意選択的で曖昧な「フィクション」をプレイヤーが往来し続ける、両者の間にある「半分現実=ハーフリアル」な領域に邂逅し続けることで成立するものである。本書では取り上げられないが、この定義でいくと、厳格なルール(決まり切った物語)の中、主体的選択の可能性(選択肢)が提示されるノベルゲームは、ゲーム全般の持つ特性をメタ的に捉えたものであると考えられ、今後、ゲーム論を考えていく際には、ゲーリア的な物語論的見地以外からの検討も必要なのではないかと思った。2017/03/14
無重力蜜柑
10
デジタルゲーム研究の古典。原著は既に20年前の本であり挙げられている例もPS2や64時代のものだが、抽象的な次元でゲームを論じているため現代で通用しない議論はほぼないほど。また時代錯誤に見える議論も、極めて整然とした分析的な記述のスタイル故に議論のタネとして使える。総じて現代のゲームプレイヤーや製作者も読むに値する内容だ。本書の最も重要な命題は「ゲームは半分現実、半分虚構」というものだろう。この現実とはパラメーターなどの「ルール」のことであり、虚構とはストーリーやデザインなどの「フィクション」のことだ。2024/07/04
ぷほは
7
ホイジンガやカイヨワが文明論的に混同していたplayとgameの差異や、古典的なゲームとビデオゲームの差異をすっきりと整理しつつ、ゲームプレイを創発に導くルールの挙動と、プレイヤーの没入を促進させるフィクションの相互作用を「半分現実・半分虚構」と定義づける明快さ。あらゆる点でゲーム研究の古典の名にふさわしい書。イメージの時代を超越現実と名付けたブーアスティンやボードリヤール、マスメディアを二重現実のシステムとして描いたルーマン、ソシャゲ全盛の現代を多孔現実とした鈴木謙介などなどとの比較を色々考えたくなる。2023/03/12
itaruotton
6
ビデオゲームは、「ルール」と「フィクション(虚構世界)」から成り立っており、両者を合わせたものは、現実世界(リアル)から一部分を選択・抽出したものである。その意味において、ビデオゲームは現実から一部分を切り出した「ハーフリアル」である…というのが本書の結論であると読み取った。本書は、この結論にたどり着くまでに、ビデオゲーム50年の歴史を丁寧にたどりながら、少しずつ論拠を積み重ねてゆく構成になっており、誠実な研究書であると感じた。2016/11/21