内容説明
大和勢力の表象(シンボル)ともいえる前方後円墳、しかしその秩序の創設には吉備、なかでも「楯築」を生んだ備中勢力がもっとも強くかかわったのではないか―戦後日本の前方後円墳研究をリードしてきた著者が、前方後円墳と埴輪の分布、その普及状況をもとにあきらかにした『吉備東遷説』。長年の論争に新たな一石を投じる前方後円墳研究の画期的論考。
目次
第1章 前方部はどのように誕生したか
第2章 前方後円墳秩序の形成
第3章 前方後円墳の祭祀性
第4章 埴輪の成立と普及の歴史的意義―大和勢力なるものの実体
第5章 前方後円墳の変化
第6章 諸地域の状況
第7章 前方後円墳祭祀の衰退
著者等紹介
近藤義郎[コンドウヨシロウ]
1925年足利市に生まれ、栃木商業学校と東京外国語学校で過ごし、東京空襲に遇い、また兵役に服した後、はからずも京都大学で考古学を専攻した。もともとは動物の生態を勉強するつもりで、その思いは岡山にやって来る頃まで続いたが、岡山で一変した。始めは古墳群と弥生集落、ついで古墳一般、併せて大昔の製塩、一転して弥生墳丘墓と前方後円墳の関係の究明に努めた。1990年の退職後、それが昂じて前方後円墳とは何かの研究に没頭した
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