目次
第1章 保育者になる―生い立ちの記(西陣に生を受ける;私の戦争;西陣を出たい―それを願う日々;高校から大学へ;先生になる―立命館大学へ;結婚して親になり、保育者になる;西七条保育所へ)
第2章 西七条保育所と子ども達(人間が人間らしく育つ場“保育所”の使命;新しい年を迎えて考えること;昭和52年3月・男性保育者も法的に認められる;保育園の20年を振り返って―『はばたけ虹へ向かって』西七条保育所20周年記念誌より;はんなりほっこりほいくえん―西七条保育所30周年記念誌より)
第3章 日々を綴る「園だより」より(1988年(昭和63年)から1991年(平成3年)の出来事
1994年(平成6年)から1996年(平成8年)の出来事
2000年(平成12年)から2003年(平成15年)の出来事
追記 ピノキオ保育園を育てる
思い出の写真)
著者等紹介
藤田ヒサエ[フジタヒサエ]
1934年(昭9)12月3日京都市北区西陣にて誕生する。1941年(昭16)国民学校に入学。1946年(昭21)新制中学校1年生。1953年(昭28)立命館大学第二部史学科へ入学。1961年(昭36)藤田忠宏と結婚。1962年(昭37)長女まゆみ誕生。1965年(昭40)白い鳩保育園勤務(保育士となる)。1967年(昭42)京都市保母会会長となる。1969年(昭44)1月長男宏和誕生。1970年(昭45)6月公設民営保育所として設立された、西七条保育所へ所長として赴任。1972年(昭47)京都子どもの文化研究所を仲間と設立し、所長となる。1983年(昭58)京都市伏見区納所団地内に、ピノキオ保育園設立に助力する。2003年(平15)8月西七条保育所退任。その後ピノキオ保育園の理事長として、活動する。2020年(令2)3月死去(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
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