内容説明
私小説が「私」を超えたとき、なにが姿を現したか。初期の創作説話から「私倍増」小説にいたる藤枝文学の特異な軌跡を刻印する。
著者等紹介
藤枝静男[フジエダシズオ]
1907年、静岡県藤枝町生まれ。本名勝見次郎。成蹊実務学校を経て第八高等学校に入学、北川静男、平野謙、本多秋五らと知り合う。このころ志賀直哉を訪ね、小林秀雄、瀧井孝作を知る。1936年に千葉医科大学を卒業、医局、海軍火薬廠共済病院などを経て妻の実家である眼科医院に勤め、1950年に浜松市で開業。1947年『近代文学』9月号に本多秋五らが考案した筆名・藤枝静男で「路」を発表。その後も眼科医のかたわら小説を書く。1993年、肺炎のため死去。主な著作に、芥川賞候補となった「イペリット眼」「痩我漫の説」「犬の血」などがあり、『空気頭』が芸術選奨文部大臣賞、『愛国者たち』が平林たい子賞、『田紳有楽』が谷崎潤一郎賞、『悲しいだけ』が野間文芸賞を受賞している(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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マリリン
35
「龍の昇天と河童の墜落」は、説話を知らなかったものの、山・海・川に千年棲み昇天する龍の話を怪奇変奏曲にした味わいは好み。文平の生涯を描いた「文平と卓と僕 」風変りという言葉で言い表せない独特な世界に惹かれた。「静男巷談 」「壜の中の水 」「みな生きものみな死にもの 」「老いたる私小説家の私倍増小説 」も読み応えあり。どこに行くのか何が起こるのか解らない刺激感。著作も名前も知らず、好きな作家さんが触れていなかったら読む機会を逸したと思う。私小説という枠の中に幻覚や幻想・怪奇が潜み時に官能的でもある。 2024/02/23
Ayumi Katayama
21
読んでいて筒井康隆の『虚航船団』を思い起こしたのだが、解説によると『虚航船団』こそがこの『田紳有楽』に触発されて書かれたものなのだそうで、なるほどそうであったかと深く納得した。志野、丹波、柿の蔕が躍動する。グイ呑み、丼鉢、茶碗である。加えて、弥勒や妙見や大黒も交えて、西に東に過去に未来に忙しい。大黒がやって来るところは圧巻でついつい何度も読み返してしまう。大粒の雹が降りドシンと雷が落ちでたらめに火柱が閃く。身の丈十メートルの妙見と六メートルの大黒。並んで立った姿をご覧いれよう。と思ったが長いのでやめる。2021/03/20
三柴ゆよし
18
「田紳有楽」はそれだけ読んでも傑作だが、たとえば本書併録の「龍の昇天と河童の墜落」「壜の中の水」をあわせて読むことで、藤枝静男というおかしな小説家の主題と方法とが、もうすこしはっきりみえてくる。人間はどこまでいっても<個>でしかありえず、そこには真物も贋物もない。とはいえこの浮き世ではだれもかれもがマウントの取り合いに終始し、寝首を搔くを狙い、どうしたって物事の白黒をつけたがる。エーケル、エーケル。すなわち、嫌悪。厭離穢土。生物と無生物の境界を容易く横断し、真贋の別を自在に転倒させる藤枝静男の作法は(続)2018/02/03
ksh
6
なんといっても表題作である。痛快、痛快。ぐい呑みと金魚C子による色事の荒唐無稽さには腹を抱えて笑ったし、茶碗は人間に化け、丼鉢は大河ドラマのごとく主人ラマとともに諸国漫遊、飛翔の術を会得し、池のなかに居を構えている。これが私小説だというのだから藤枝静男はどうかしている。何が私なのか。しかし、抜群に面白い故にそんなことはどうでもよくなってくる。ところがふと、これは化かされているんじゃないかと疑問が湧く。馬鹿馬鹿しさの上に非常に醒めた宇宙観があることに気付く。だが、それを語るのも野暮だろう。山川草木悉皆成仏。2016/11/25
nightowl
3
ねじくれた一個人の「私」の世界を思いがけず覗き込んでしまった感覚。急に妙な方向へ飛ぶ「静男巷談(抄録)」、焼き物の心理描写(?)にどう受け取っていいものか戸惑い最後も唖然とする表題作など現在出版されている日本語の醍醐味シリーズで最も突飛な作家。2012/12/30
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