内容説明
徳川慶喜家と会津松平家に伝わる貴重な史料で綴る壮大なファミリーヒストリー。
目次
第1章 みみずのたわごと(徳川和子)(少女時代;懐かしい人たち;人種差別(差別用語)について
歯医者の思い出
オートバイの音 ほか)
第2章 歴史の中に生きる家族(山岸美喜)(徳川家と松平家;祖父母一家の暮らし;戦後の徳川家;高松宮妃喜久子殿下のこと;秩父宮妃勢津子殿下のこと ほか)
第3章 徳川慶喜家写真帖
著者等紹介
徳川和子[トクガワカズコ]
大正6年(1917)7月31日~平成15年(2003)5月29日。徳川慶喜家3代当主・慶光夫人。父は子爵・松平保男(会津松平家12代当主、松平容保の5男)
山岸美喜[ヤマギシミキ]
昭和43年(1968)東京都生まれ。祖父は徳川慶喜の孫・徳川慶光。クラシックコンサートの企画事業を手がけるほか、「徳川将軍珈琲」宣伝大使も務める(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
uniemo
16
会津藩のお姫様として生まれ、徳川慶喜の孫に嫁いだ著者の自伝。維新で成功した華族のお嬢さんと著者のような敵方であったお姫様が女子学習院のクラスメートとして仲良くされていたことがわかって面白かったです。2021/07/31
newman
11
こういう雲の上の生活を送っている人たちがいた時代があったんだなと面白く読みました。徳川慶喜家当主であった和子のご主人が二等兵で出征し、戦地で入院したとき医師に「徳川さんは爵位をお持ちですか」と聞かれ「ハム公爵の公爵です」と答えたら陸軍大将がお見舞いに来る事態になったというのはおかしかったです。また、和子の祖父である会津藩主・松平容保は、戊辰戦争で降伏し、その後会津藩は現在の青森県に移されたが、明治天皇に許され華族となり現在の文京区に屋敷を構えたと知りました。歴史って深く知ろうすると切りがなさそうです。2021/08/24
mawaji
7
久美子さま「徳川おてんば娘」、喜佐子さま「殿様と私」の後は、お二人の兄慶光さまに嫁いだ松平容保の孫である和子さまの目を通して描かれた第六天の暮らし、こちらも興味深く読みました。「けちな桜が川っ端に植っていた」という神田川沿いは今は私のお気に入りのお花見スポット。華族制度の廃止後はさぞ辛い暮らしだったのではとシモジモの者(私のこと)は思ってしまいがちですがnoble obligationという道徳観を持って逞しくも穏やかに過ごされていたのでしょう。「あとはよろしくね」と託された資料、たいへん貴重なものかと。2022/11/21
matsu2015
7
「徳川おてんば姫」が楽しく読めたので手に取った。おてんば姫と比べると淡々と書かれているように思えた。若い頃、性格で損をされたと文にあるからその性格によるものだろうか。聞いたことがなかった「やっさもっさ」や古典の言葉だと思っていた「こけつまろびつ」や「すみません」が一般語で華族では「ごめん遊ばせ」など新鮮だった。しかし、ご学友の錚々たるメンツ。インターナショナルスクールでは朝鮮出兵前後で韓国人と日本人がけんかになると聞いたことがあるけれど、歴史の授業中はいかなる空気だったのだろうか。華族の暮らしを知れる本。2021/04/15
HISA
5
☆☆☆松平容保の孫にあたる女性が徳川慶喜の孫に嫁いでいたのですね。女子学習院時代のクラスメイトは榎本武揚の孫やら、毛利さん、西郷さん、山県さんとすごすぎる名字。わりと短い手記だったけど、子供時代の優雅な暮らしが伺われる。大変なことも沢山あったはずだけど、そこには触れず、ユーモアも交えて暖かい人柄が感じられた。2022/11/21