出版社内容情報
二人で一つの絵をつくる──「原爆の図」15部作をはじめ、南京、アウシュビッツ、水俣、長崎など数多くの大作で知られる画家、丸木位里・俊夫妻。その創作現場を写真家が丹念に追い、二人の豊かな語りとともに構成した写真録。戦後60年にあたり晶文社刊行版(1987年初版)をリニューアル出版。
絵以外にやりようがないんじゃ
●創作意欲は老いてなお盛んだ
奥の細道/鮎/少年時代/母/宮本武蔵/絵描き/丸木美術館
ずいぶん人が来るよのう
●いのち溢れる村の暮らし
酒とタバコ/梅干しの種/犬の死/猫物語
●5月5日開館記念日、8月6日とうろう流し
臥竜展/高張提灯/征露丸/女たち/上も下もない国/演説1/演説2/頑張り
おかしい絵がおかしいほど面白い
●臥竜展、人人展、個展
地獄極楽/こりゃさの文明/沖縄・読谷村
誰が描いてもええ
●終わりのない旅、いま沖縄へ
丸木位里・丸木俊 略年譜
あとがき
あとがき/本橋成一
八四年の春頃だったと思う。夜おそく電話がかかってきた。「本橋さんと一緒にやりたいことがあるから、いま新宿だけど、すぐ話しに行く」 電話の主は西山正啓さん。土本典昭監督のもと『水俣の図・物語』の制作に携わった西山さんは、丸木位里・俊夫妻にぞっこんだった。思い立ったら矢も盾もいられない性格の人だから、突然の電話にも驚きはしない。丸木美術館のスライドをつくりたい、と西山さんは熱っぽく語った。鞄の中は資料でいっぱいだった。夜明けまでひとりで喋り「……だから本橋さん、やりましょう」と言いおいて、帰っていった。「……だから」がぼくにはまだピンとこなかったけど、なぜか、ぼくの中にあった「原爆の図」がそのとき急に身近かなものになった。
ぼくが「原爆の図」をはじめて見たのは高校一年のときだった。新聞の小さな写真だ。ぼくはそのときの強烈な印象を今でも憶えている。それは、原爆の恐ろしさとか残酷さとはべつに、ぼくが五歳のときの東京空襲の記憶を呼び起こしたからだった。びしゃびしゃになるまでドブ水に浸けた防空頭巾をかぶせられ、フェーン現象で真紅に染まった空の下、母に手をひかれ、泣くことも忘れて熱風と火のたりの画家、丸木位里さん、俊さんは、つねに自分のことばで語る。みずからの生きかたで語る人間なのだ。だからこそ、ふたりが描く絵には説得力がある。ホンモノの絵を描く画家なのだ。
高校生のときに切り抜いたあの新聞の写真は、今でも二十年前に買い求めた田園書房刊の『原爆の図』の画集にはさんである。
─────1987年4月3日
今年は、敗戦60周年を迎える。しかし、世界では相変わらず戦争が頻発し、止む気配はない。なによりも戦争を放棄したはずの日本も怪しくなってきた。
この写真録が出版されて20年が経とうとしている。しかし、丸木位里、丸木俊のおふたりはもういない。いまぼくたちは、何を思い、何を考え、何をするべきか。おふたりの作品はそれを語り続けている。
戦争が核兵器が、そして原発が、いかにこの地球上で愚行なことか、この写真録からもおふたりの想いにつなげられたらと思う。
この度、多くの方々のご尽力により、この写真録が再び出版されたことを感謝しつつ。
─────2005年4月3日
2005年は、丸木位里さん没後10年、丸木俊さん没後5年、そして敗戦から60年にあたります。丸木夫妻の作品を所蔵する「原爆の図丸木美術館」「佐喜眞美術館」をはじめ、多くの方々ご協力により、節目の年にリニューアル出版ができることになりました。丸木夫妻がなぜ「反戦画家」と呼ばれるのか、いまこそ私たちが受け止めなければならないメッセージが、この本に詰まっています。
感想・レビュー
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ぱせり
けんとまん1007
絵本専門士 おはなし会 芽ぶっく
Orochidou