目次
1897年―ロンドン滞在中の孫文と親交を結ぶ
1898年―大英博物館で乱暴のため追放される
1899年―貧苦のなかで写書と論文執筆に励む
1900年―生活窮迫のため離英、10月帰国する
1901年―孫文と再会、10月末に勝浦に向かう
1902年―和歌山に帰り田辺をへて勝浦に戻る
1903年―勝浦、那智で植物採集と読書に没頭
1904年―熊野植物調査完了、10月田辺に移る
南方熊楠宛孫文書簡
南方熊楠にとっての中国
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
roughfractus02
7
ロンドンで孫文と知り合うも青年に乱暴して大英博物館を追放され(1897-8)、貧苦の中で論文執筆を続けるも窮迫して帰国の途につく(1899-1900)。勝浦、和歌山、田辺と移る中で来日中の孫文と再会する一方、勝浦と那智で植物採集を続ける(1901-3)。熊野植物園調査と読書の日々を終えて田辺に定住する(1904)。本書は以上8年の日記と孫文宛書簡を収録する。日本人同士が民権国権で争う米国生活と異なり、ロンドンでの孫文との出会いは著者のアジアへの視野を広げ、人類学の知も増大する。英語論文執筆は帰国後も続く。2022/11/22
i-miya
0
日記1です