内容説明
日米和親条約の締結・調印の地として、嘉永七年、横浜は日本史の表舞台に登場する。安政六年の開港後、横浜は貿易港として急成長を遂げるが、攘夷運動の激化に伴い、英仏両軍の駐屯を許す。横浜の鎖港問題は幕末の政局を左右し、江戸城総攻撃の中止にはイギリス公使の力が与かったとされている。文明開化の窓口となった横浜を経由して、東京の近代化のスピードは加速する。築地居留地、銀座煉瓦街などの東京の街づくりでは横浜がそのモデルとなっていた。東京築港論争などで、東京と横浜が刺激し合いながら発展していく道程を追い、両都市の関係史、比較史の視点から幕末明治の時代を読み解いていく。
目次
プロローグ―江戸・東京と横浜
1 開港前夜の横浜―江戸湾防衛の強化
2 横浜開港と外国人居留地の設定―江戸経済の強化を狙った幕府
3 横浜と攘夷運動―江戸幕府の対外政策
4 戊辰戦争と横浜―神奈川県と東京府の設置
5 明治維新と横浜―東京の文明開化
6 横浜港の危機―東京との築港競争
エピローグ 横浜居留地の終焉