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著者等紹介
ヴィトキェーヴィチ,スタニスワフ・イグナツィ[ヴィトキェーヴィチ,スタニスワフイグナツィ] [Witkiewicz,Stanislaw Ignacy]
ヴィトカツィ。1885年ワルシャワ(ポーランド)生、1939年イェジョーリ村(現ウクライナ)没。20世紀ポーランド文化を代表する劇作家・画家。生涯の大半を南部山岳地帯のザコパネの町で過ごした。1939年9月、ソ連軍進攻の報に接して自殺。テクストとしての代表作には、不条理演劇の先駆と言われた戯曲数十篇の他、小説『非充足』、『秋への別れ』などがある
関口時正[セキグチトキマサ]
東京生まれ。東京大学卒。ポーランド政府給費留学(ヤギェロン大学)。1992~2013年、東京外国語大学でポーランド文化を教える。同大名誉教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
三柴ゆよし
21
ゴンブローヴィッチ、ブルーノ・シュルツと並ぶ、ポーランド文学前衛三銃士のひとりなのだとか。絶望の狂人だか溺れる狂人だか知らないが、かなり真ッ当な不条理劇というべきである。生と死、正常と狂気、真実と虚構の意図的な錯乱が試みられた四篇は、ある箇所では、ほとんど全盛期の筒井康隆にも似たスラップスティックが繰り広げられている。いまとなってはあざといが、読むべきものはある。個人的には、登場人物全員がラリラリする様子が楽しい「母」と、故人の不倫疑惑に当人の幽霊が参加してすったもんだする「小さいお屋敷で」がお気に入り。2016/02/15
きゅー
11
収録されている4篇とも不条理劇。「小さなお屋敷で」には女性の幽霊が登場するが、彼女は家族と普通に会話をし、散歩までする。彼の作品には、死んだ人間が実は生きていた、死んだ人間が普通に生活しているというモチーフが何度も使われている。しかし「死」そのものに対して焦点が当てられているようには見えない。むしろ「死」は、反復可能などうでもいいことのように描かれている。普通の作品ではどこかに支点があって、それを頼りに読み進めていけるが、ここには支点や中心点がない。不安定なまま放り出されるような印象を抱いた。2016/04/22
法水
4
サイマル演劇団+コニエレニによる『狂人と尼僧』で知ったスタニスワフ・イグナツィ・ヴィトキェーヴィチ、通称ヴィトカツィの戯曲集。「狂人と尼僧」の他、「小さなお屋敷で」「水鶏(くいな)」「母」の4本を収録。いずれも1920年代初頭に書かれたものだけど、なかなかの不条理劇。中では唯一著者の生前に上演されなかった「母」は、登場人物がコカインをキメまくっていてかなりぶっ飛んでいた。是非これも上演して欲しいなぁ(日本では岸田今日子さん主演で演劇集団円が上演している)。2019/09/14
刳森伸一
3
写真家や哲学者などの顔も持つポーランドの多才ヴィトカツィ(スタニスワフ・イグナツィ・ヴィトキェーヴィチ)の戯曲を4篇所収。幽霊が登場して遺族と当たり前のように会話したり、一度死んだ人間が当たり前のように生きて再登場したりと、錯乱と不条理に満ちた戯曲が並んでいる。世界は人を苦しめるシステムであり、世界に順応するためには、自らを苦しめなければならないというような倒錯や、グロテスクな人間関係がエグくていい。2020/02/06
保山ひャン
2
タデウシュ・カントル経由で読みたいと思ってたヴィトカツィの戯曲。日本でも上演されているが、どれも未見。「小さなお屋敷で」は死んだはずの母が幽霊として普通に家族の前にあらわれる。怖がっているのは母の愛人だった男ひとりだけ。「水鶏」も殺したはずの女が何事もなかったかのように出てくる。死というものに対するハードルが低すぎるのだ。「狂人と尼僧」では狂気と正気がごっちゃになり、聖のハードルも低い。「母」では親子でコカインやったりして、悪に対するハードルも低い。笑って読んでいたのに、どんどん不気味になってきた。2016/01/05