内容説明
人間写真家・細江英公の「いま」。「生涯現役」をめざす写真家が現在の心中を率直に語り尽くす。
目次
若いころから「写真家」という意識でいた
写真家は風のような存在でなければならないか
写真が真実であるとは限らない
「社会的リアリズム」は「社会主義的リアリズム」とは違う
もうひとつの写真の幸せ
広告写真は社会の鏡である
感動する写真を撮りたかった
デザイナーは選ぶべし
写真家は普通の人間でいい
写真を仕事とすることの難しさ〔ほか〕
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
ほじゅどー
8
★★★★「写真は真を写すものではなく偽りを作る。それは記憶のための資料である(寺山修司)」「映像が持つ力、自分たちの考え方、カラーかモノクロか、レンズの使い方、フイルムの色に対する感色性の違いもある。一枚の写真に現れているもの全てが真実であると語るのはむしろ傲慢」「写真と絵画に本質的な違いはない。あるのは方法論だけ。写真はカメラという機械が介在するため、写真家の持つ主観や技量を超えた写真が撮れる可能性がある。画家はあくまでも自分の実力を超えることはない」「撮影は作曲、プリンティングは演奏、ネガは楽譜」2016/08/12
東隆斎洒落
0
1933生まれの写真家の写真観。写真ほどの真実はないと思っていたが、ホンの一瞬を切り取っただけであり、総体として真実ではないと云われるとナルホドと。人はカメラを向けられるとピースをしたり自身を曝け出すのも、カメラを介して人間が向き合わないと起きない現象。昔の写真は、作品であり原版があるが、デジタル写真は情報であり、完全消去出来る。これもまた真なり。写真を見ると写真家が知りたくなり、写真家に興味を持つと、どんな作品か知りたくなる。不即不離、不一不異。自分にしかできない良い仕事を残していきたいものである。2012/11/07