内容説明
一九四五年中頃までに日本本土は連日の空襲により国全体が大損害を受け、太平洋戦争はその最終段階を迎えていた。もはや時間の問題となった敵の本土上陸を迎え撃つため、約一万一〇〇〇機の航空機が神風特別攻撃用に使用可能の状態になっていたほか、二五〇〇機が同年の夏の終わりまでに改造される予定であった。これが、進駐軍が日本本土に上陸したときに見た日本軍の残存航空機の全てであった。世界が平和の復興に焦点を移すや否や、このような残存航空機に対する人々の関心は薄れてしまい、その機体の大部分は、それの真価が認められる前に破壊され、焼却されてしまった。日本軍が撤退後、海外に残された機体の一部は、占領から開放されたその国の戦力として使用された時期もあった。今はごく僅かの幸運な機体が、世界中何ヶ所かの航空博物館に現存しているにすぎない。本書には、進駐軍が日本に到着したときに見た航空機と、その後おこなわれた破壊行為の細部をもの語る珍しい写真が多数収録してある。現存する日本軍機の写真は本書の最終章に収録し、その所在地または製造会社別に一覧表になっている。
目次
第1章 戦争の推移
第2章 日本進駐への道筋
第3章 ミートボール(日の丸)と鳥(日本軍機)の死骸
第4章 各地の航空基地への実地調査
第5章 最良の残存機を集める
第6章 ブルドーザーによる破壊と焼却
第7章 残存機救済への努力
第8章 海外で運用された日本軍機
第9章 残っている宝物としての日本軍機
著者等紹介
ミケシュ,ロバート・C.[ミケシュ,ロバートC.][Mikesh,Robert C.]
スミソニアン協会の国立航空宇宙博物館の元首席学芸員。21年間米空軍に在籍し、パイロットとして主にマーチンB‐57およびプロペラ機や、その他のジェット機を操縦。その中の8年間、日本に配属され、日本の航空史を深く研究・調査。戦闘出撃としては、朝鮮戦争でのB‐26による夜間輸送路攻撃やベトナム戦争でのO‐2Aによる前線統制官(FAC)がある。歴史的な航空機やその保存に関する著書が多数ある
石沢和彦[イシザワカズヒコ]
1961年4月石川島播磨重工業(IHI)航空宇宙事業本部に入社。F104J戦闘機用J79技術提携エンジンの組立指導担当。1966年~P‐2J対潜哨戒機及びPS‐1飛行艇用T‐64技術提携エンジンの改良設計担当。1972年~将来機種の技術および市場動向調査で海外を歴訪。1980年~T‐4中等練習機用F3‐30エンジンの開発でチーフエンジニアを経て技術部長。1988年~技術部長:防衛庁向け全エンジン(技術提携を含む)の技術統括。1991年~日本航空機エンジン協会(JAEC)技術部長。V2500の国際共同開発における技術統括。1994年~IHI航空宇宙事業本部技術開発事業部長としてエンジンの研究開発の統括。1997年~2000年超音速輸送機用推進システム技術研究組合常務理事。国際共同研究HYPR/ESPRの技術統括。現在、航空ジャーナリスト協会理事。日本ガスタービン学会等、国内の学会、Smithsonian Air& Space、AIAAおよびNational Geographic Societyの会員。学会賞受賞3回
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