内容説明
“日本近代都市計画の父”。植民地での経験と欧米の見聞を糧に、震災復興において現代にも通用する「東京」を構想した後藤。
目次
序 日本近代都市計画の父
1 後藤新平のことば
2 後藤新平「都市デザイン」を読む―識者からのコメント(後藤新平の都市論―四つの視点;後藤新平の「ウルバニズム」;都市衛生と文化;後藤新平の公の視点)
3 台湾・満洲の都市デザイン(後藤新平の台湾ランドスケープ・デザイン;後藤新平と満鉄が造った都市)
4 後藤新平の都市デザイン論(都市計画と自治の精神(一九二一年)
東京市政要綱(一九二一年)
帝都復興の議(一九二三年)
復興の過去、現在および将来(一九二四年))
解説 後藤新平・都市論の系譜
著者等紹介
後藤新平[ゴトウシンペイ]
1857‐1929。水沢藩(現・岩手県奥州市)の医家に生まれる。福島の須賀川医学校で医学を学び、76年、愛知県病院に赴任。80年には弱冠23歳で同病院長兼愛知医学校長に。板垣退助の岐阜遭難事件に駆けつけ名を馳せる。83年内務省衛生局技師、ドイツ留学後同局長。相馬事件に連座したため衛生局を辞すも、陸軍検疫部にて日清戦争帰還兵の検疫に驚異的手腕を発揮し、衛生局長に復す。1898年、総督児玉源太郎のもと台湾民政局長(後に民政長官)に抜擢され、足かけ9年にわたり台湾近代化に努める(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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rbyawa
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d088、そもそも関東大震災の「復興」計画はそれ以前、都市の変化による必要性から作られていたというのもわりと広く知られていることだと思うのですが、そもそも人口の増加によって限界に来ていたという事実もあり、少なくとも後藤新平の理論はけして間違っていない、と後知恵ながら思いますし、後藤新平について語られた文章は本当に素晴らしい、と思うんですが…。当人がなにを言ってるのかよくわから…ない、すみません。そもそも大風呂敷と言われ、説明不足と身内にも指摘されていたので言葉数が少ない人だと思ってたんですが…違うみたい。2013/06/16
ギャロップ
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今読んでも色あせていない後藤新平の都市に対する見方とその先進性に驚かされる2011/07/01
Masaki Iguchi
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本当に先見の明があるなぁ。復興が実現していたらどうなってただろう。2023/06/24
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- 和書
- 余計なものもいとおしくて