内容説明
「五族協和・王道楽土」―約70年前、多くの日本人がこのスローガンの元、満州(現中国東北部)に渡った。当時20歳だった幸子も夫とともに満州に渡り、現地で産んだ二人の娘と慎ましくも幸せな生活を送っていた。しかし、昭和20年8月9日ソ連軍参戦によって、その生活は一気に暗転した。ソ連兵や現地民による略奪・殺人・拉致、強姦、そして極寒・飢餓…。「敗戦国の定め」とはいえ、なぜここまでつらい思いをしなければならないのか。現在では数少ない満州開拓団の生き残りとして、当時を赤裸々に語る筆舌に尽くしがたい体験談。“大正生まれ”の91歳の女性が戦争を知らない世代に綴った“遺言”。
目次
北満の北安
ソ連の宣戦布告
露兵がやってきた
舞う注射針
女露兵現る
腕時計と露兵の知性
婦女暴行と拉致
隣家の悲劇
終戦
顔に味噌を塗る〔ほか〕
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ドワンゴの提供する「読書メーター」によるものです。
yoshida
125
昭和20年8月9日。ソ連は一方的に日ソ不可侵条約を破棄し満州に侵攻。著者は夫と幼児二人の四人家族。昭和21年9月に日本に引き揚げるまで筆舌にし難い苦難に遭う。食料事情から娘二人は命を落とし、著者も左目の光を失う。それでも夫婦は奇跡的に帰国を果たす。関東軍も南方戦線に抽出され居留民を守れず。どれ程の同胞がシベリア、満州、朝鮮半島に眠っているのか。遺骨収拾も国際情勢から難しい状況。ソ連、満人、朝鮮人の横暴の他にも、軍関係者がソ連参戦を察知し自分達はいち早く帰国し、居留民を棄民の状態にした事も忘れてはならない。2016/02/27
やじ
15
満州がこんなに大きな国だったとは知りませんでした。当時のソ連が不可侵条約を無視し、満州になだれ込んで来る。いつも三人組で午前中に略奪しに来る‥その後の辛い毎日‥識字率が低い国が近くにある事の恐ろしさよ。ほとんどが読み書きソロバンが出来、修身で人間としての正しい精神を知る日本人にとって、彼らの野蛮さは想像を絶した為、戦争の混乱時に国民を守れなかったのだと思った。著者は幸い生き延びたが、無念の死を遂げた方々がどれ程であっただろうか‥約束を守らない国々が憎い。2015/03/28
anko
5
著者は91歳、満州から引き揚げた経験を遺言として書き上げられたそうです。本当によくぞ生きて戻られました。まして幼子二人を連れて…同じ母親として尊敬致します。どうかこれからも健やかにお過ごし下さい。2014/08/16
Fujikazu Kanno
4
山崎豊子さんの不毛地帯を読んでいてシベリア抑留の壮絶な体験は知っていたのですが満州に取り残された人々がこんなにも酷い目にあっていたとは・・・。どの戦争映画や本を読んでいて思うのは何の罪もない一般市民までもが巻き込まれて酷い目にさらされてしまうんですよね。悲しいです。2016/03/03
mmaki
3
無数の人たちの死と、屈辱と、虚しさと、怒りと悲しみの上に現在の私達の生活があることをよく考えるべき。そして感謝するべきだ。2015/10/10




