アフガンの侍―日本人ゲリラ、アフガニスタンに死す

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  • サイズ B6判/ページ数 319p/高さ 20cm
  • 商品コード 9784892247743
  • NDC分類 916
  • Cコード C0031

内容説明

1979年12月、旧ソビエト軍、アフガニスタンに侵攻開始。2001年10月、アメリカ軍、アフガニスタンに空爆開始。田中光四郎がともに戦った戦友たちは、今やタリバン、北部同盟とたもとを分かつ。当時、直属の上官であったマスード司令官の爆殺、アメリカ同時多発テロ、そしてアメリカの空爆…。さらに増えるアフガン難民を救うべく、田中光四郎は民間大使として現地に赴く。カラシニコフを持った手に、今度は救援物資を携えて。田中光四郎の新たな戦いが、今、再び始まった―。

目次

二〇〇一年十月、日本(日本が再び戦火にまみえないために;九月、混乱のパキスタンへ;インフレを引き起こすジャーナリストたち ほか)
一九八五年、アフガニスタン(『照準のなかのソ連』より)(スルビの戦い;出国―アフガニスタンへ;ジグダラク ほか)
二〇〇一年十一月、パキスタン(再びパキスタンへ;成田発、イスラマバード;早すぎる、カブール陥落!!寝返りタリバン多いのか… ほか)

著者等紹介

田中光四郎[タナカコウシロウ]
1940年福岡県田川市に生まれる。1963年神奈川大学法経学部貿易学科卒。1967年ジャパン・リソーシス・コーポレーション代表。1985年アフガニスタン入りし、1990年まで6年間、ムジャヒディンとして戦う中で、空手を指導する。戦闘に際して、常に先頭に立つことから「アマリアート(作戦、戦い)」というあだ名を頂く。1987年『照準のなかのソ連兵』(ジャブーン出版)刊行。1990年古賀不二人師範より不二流体術の第二代宗家を譲られる。1994年広島アジア競技大会にアフガニスタン選手団を参加させるために奔走。国際難民救済委員会理事長、日本自由アフガニスタン協会理事長、不二流体術第2宗家
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感想・レビュー

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なつきネコ@幼女に化けてます

18
多くの武術家が強者に挙げる田中光四郎。アフガンでカラシニコフ銃をもち旧ソビエト相手に戦ったリアル傭兵で武術家。最初は武術で戦う場面もあると思ったが、むしろ、アフガンで困った話が印象。アフガンは薬好きとか。地雷の恐怖が分かった。カラシニコフ銃が中国産とかも小ネタは納得。この人に今の日本は情けないと言われると納得、古きを守っていた人達は違う。伝わるのはアフガンへの愛情と日本への愛情、そして平和を愛するからこその義挙だった。個人的に共産圏の不信感は今の時代でも納得する。しかし……昭和にはこんな人がいるんだな。2024/12/15

sataz

2
右翼系の武道指導おじさんが義侠心とソ連嫌いからアフガニスタンに行って、ゲリラと一緒に戦った記録。副題は大げさだけど、実際に銃撃戦の中にいたようなので、そうなっていても不思議はない。さすがに普通では知り得ないこと、アフガニスタン人(パシュトンだけかも)の考え方や行動を如実に教えてくれる。アナクロな考え方をしていることも多く、そこは気になるが、人を大事に思う心はある人だと思うし、普通はない体験には引き込まれた。2012/02/23

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