内容説明
明晰かつ鍛錬された思考をもって戦後文学/思想を牽引した三島由紀夫にとって、“私”とは誰だったのか?『仮面の告白』『金閣寺』から『豊饒の海』にいたる代表作の精緻な分析を通して、現実/虚構/言語/肉体に囚われた作家の“表面”をあぶり出す。
目次
第1章 “作者”の不在証明、“作家”の誕生―『仮面の告白』(「悲劇的なもの」;「私」の/への欲望 ほか)
第2章 “私”の閉塞から“表面”としての“私”へ―『金閣寺』(吃音という疎外装置;「現実の金閣」と「心象の金閣」―論理の綻びから見えるもの ほか)
第3章 「表面の思想」へ―『鏡子の家』『美しい星』『太陽と鉄』『文化防衛論』
第4章 “表面”への物語―『豊饒の海』(“物語の法”、“本多の法”;ジン・ジャン―捏造された未知 ほか)
著者等紹介
川上陽子[カワカミヨウコ]
兵庫県に生まれる。京都大学総合人間学部卒業。京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程修了(人間・環境学博士)。専攻、現代文学論(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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マカロニ マカロン
9
個人の感想です:B。『金閣寺』読書会参考本。本書は『金閣寺』を中心に、三島文学を分析していく論文集に近い内容。この中で特に興味を惹かれたのは、「かなり重度の吃音であるはずの溝口は作中、表記においては一度も吃ることがない」という指摘だ。溝口にとって吃音とは「外界」あるいは「現実」に対する「内界」の遅れだとして、疎外感をより拡大させるための装置であると指摘している。本書のタイトルにあるように、表面と内面を書き分ける上で、自伝を装った形式は効果的。溝口のモデル林養賢をいたずらに侵犯せず書くことに成功している2022/04/14
よいおいこらしょ
5
三島文学は、世間から阻害される私が一つになろうと目指す小説が多い。この本では、作中に出てくる同性愛や希死念慮といった現象は、阻害されるための素材に過ぎない。と言い切っている。世間と同一化するために私は仮面を肉体に固着、自分を「あるべき自分」に染め上げようとする。しかし、肉体は「あるべき自分」に応えず、ありのままの自分を写して終る。仮面を被るためには、自分は消さなくてはならない。汚れた紙は絵に瑕疵を残すように、一片のかけらも残してはならない。その私の行方を、三島は生涯のテーマとした、という感じ。2019/12/23
じめる
2
後半は〈表面〉というキーワードの持つ意味の多様性に多分に拠って論をまとめていっている印象が少なからずあるものの、扱われている問題は非常に興味深い。だが、やはり言葉の位相における〈表面〉にまで話を広げていくのであればもう少しそこに掘り下げが必要だろう。それは議論を明らかに一段高く引き上げるものであるからだ。後は、あとがきがやばい。2014/12/10
i'M o GaN
1
はじめにでの条件設定が最後まで大きな意味を成す素晴らしい論集。これからの三島研究に欠かせないものとなる名著。2013/08/19