内容説明
覇権中国の台頭は、台湾海峡の空域と尖閣海域での傍若無人の振る舞いに出ている。80年代からの米日のテコ入れによる経済成長を背景に、21世紀に入り軍事力の強化で急速に帝国化した。日本は、90年からのバブル経済崩壊後、政官の無能による30年に及ぶ沈滞。安全保障も、もっぱら米国頼み。どうすれば日本は長期の停滞から脱して自立できるのか。日本人の気持ちを一新するしかない。そのきっかけは米国の占領中に破棄された日本古来の戦争学、戦いの流儀を知ることだ。シナ(中国)文明は孫子の兵法を今日に継承し、現代は超限戦と命名。平安時代末期、11世紀初頭に、孫子は日本文明とは異質、と独自の戦争学を産み出したのが闘戦経。シナ文明の戦争学は“詭譎”(だまし)、孫子の根本は“懼”(おそれ)と見抜いた。奇禍の中華帝国台頭を日本再生の奇貨にするために、闘戦経を現代に蘇生する。
目次
1部 孫子に遭遇した日本文明の自意識(「我武」から「真鋭」に由る日本文明観;楠木正成から徳川慶喜に至る出処進退 ほか)
2部 闘戦経の世界認識(孫子の侮り難さ;幽顕一体の兵法にある世界認識 ほか)
3部 昭和日本の弱点・統帥権とシナ大陸(近代日本が惨たる敗北を迎えた所以;昭和日本の統帥は毛沢東の『持久戦論』に敗れた? ほか)
4部 「再びの敗戦」を迎える背景(「属地」日本の選良たち;敗者になる条件 ほか)
5部 闘戦経の到達した極北(現代以降の戦いの糧になるか、闘戦経;将帥(指導者)の生まれ方)
著者等紹介
池田龍紀[イケダタツキ]
1941(昭和16)年生。父親の職業柄、北京、天津、南京で終戦を迎える。一年弱後に佐世保に引揚げ。中学校、高校と郷里で卒業。上京して大学に進学。20代の半ばに西欧に遊学。人脈をたどり、西アフリカのケニヤ、クーデタ後の内陸のスーダンからエジプトなどを遍歴。イスタンブールを起点にしてヒッピー全盛の西南アジアを陸路行く。テヘラン、カブールなどに滞在。インド、ネパール、マレーシア、タイ、香港、台湾は高雄から台北を経て帰国。30代半ばまで、アルバイト生活。35歳から、政府系の公益法人で東南アジア、主にインドネシアでの地域開発事業計画に従事。この仕事が一段落ついたので、タイ農村での地域開発のパイロット事業の策定に着手するも、カウンター・パートの事情で壁にぶつかり、打開のために40代早々にバンコクのマハニカイ系の僧院にて得度。帰国後に辞職して、千葉で拠点作りのために農場を創設するも、経営に失敗して6年で撤退。1989年の末に、北京大学から旧満洲のハルピンに行き、その後に主要都市の大学を歴訪。翌年にハバロフスク経由でウラジオストックと旧樺太の豊原(ユジノサハリンスク)を度々視察。沿海州の某大学との間で協定を結び、ソ連崩壊後のビジョンに関わるプロジェクト事業を行った。1993年春に北京経由でモンゴルのウランバートルへ。帰国後に、ペシャワール経由でウズベキスタンのタシケント、カザフスタンのアルマータ(当時は首都)等を最初に訪問。その年の秋から、数年間、或るプロジェクトを建て内陸アジア・5カ国のアカデミー関係者を集めて定期的に各地で研究会合を持つ。顧問に就任。1998年以後は、モンゴルに集中した。武漢肺炎(コロナ)で飛行機の定期便が止まり鎖国状態のために、2019年11月を最後にして、訪問できない(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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